2026年5月17日「主の昇天(A年)」のミサ 説教の要約

カトリック香里教会主任司祭:林 和則

*この日の9時半のミサは「子どもとともにささげるミサ」として行われました。今回は、このミサで行いました子ども向きの説教をお届けします。

 

 みなさん、今日は「主の昇天」のお祝い日です。

「主」はイエスさまです。「昇天」の「昇」は「のぼる」です。ですから、「イエ

スさまが天にのぼられた」ことをお祝いする日です。

「天」といっても「お空」のことではありません。聖書では、神さまがおられる

場所を「天」といいます。

 わたしたちの神さまは「父と子と聖霊の神」さまです。わたしたちが祈る時や、

ミサの最初に「父と子と聖霊のみなによって」といいますね。「みな」は「御名」

で「名まえ」のことです。ですからわたしたちはお祈りやミサをはじめる時に、

神さまに呼びかけて言います。

「これからわたしたちは『父と子と聖霊の神』というお名まえの神さまに向かっ

て祈ります」

 それは「父である神さま」「子である神さま」「聖霊である神さま」というよう

に三つの神さまなのですが、おたがいに深く、深く愛し合っているために、ひと

つの神さまになっておられるのです。

 その中の神さまのひとりである「子である神さま」がわたしたちの世界に来て

くださって「イエス」という人間になってくださいました。

 イエスさまはわたしたちに神さまがどういう方であるかを教えてくださいま

した。それは口で語ることだけではありません。弟子たちや出会う人びとを本

当にたいせつにし、愛して、ゆるすという、生き方そのものによって、神さまが

わたしたちを愛してくださっていることを教えてくださいました。

 最後は十字架で亡くなることによって、ご自分のすべてをわたしたちにささ

げてくださいました。

 そして復活されて、やがて「天」にのぼって行かれました。それは「のぼった」

というよりも、もといた「神の子」の所に戻られたことだったのです。

 

でも、そこには大きなちがいができました。

「神の子」が人間イエスさまになるまでは、そこには「神である神の子」だけが

いました。ですから「父と子と聖霊の神」のおられる場所は「神さま」だけの世

界で、「人間」が入って行ける所はありませんでした。

 それが神の子が「神の子の場所」に戻る時に「人間イエス」を身につけたまま

で戻ってくださったのです。

「父と子と聖霊の神」の「子である神」の所に「人間」が入ったのです。それによって「人間」が「父と子と聖霊の神」の場所に入るための「道」が開けたのです。

 わたしたちはやがて、その「人間」である神の子、イエスさまを通って「父と子と聖霊の神」さまの所に入って行けるのです。すばらしい愛の世界に入って行けるのです。

 

 もうひとつ、「天」に帰ってしまったイエスさまは、わたしたちの住む世界とは別のちがう世界に行ってしまわれたのでしょうか。

 いいえ、今でもわたしたちの世界にいてくださいます。

「お空」はどこから、はじまるのでしょう?

 頭の上からですか?屋根の上からですか?飛行機のとぶ所ですか?

いいえ、実は「お空」は高いところから、わたしたちのいる地上まで、すべ

て包みこんでいるのです。

神さまのいる「天」もわたしたちを包みこんでくださっていて、いつも一緒

にいてくださるのです。

 ただ、見えないだけです。

 イエスさまは「神の子」の場所からいつもわたしたちを見まもり、いつも呼

びかけてくださっています。

「わたしのいる所においで。父と子と聖霊のすばらしい愛の世界においで」

 

 今日の福音書(マタイによる福音28章16―20節)の最後のイエスさまのこ

とばをおぼえていますか?

「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる(20節)」だったで

しょう。

 これはイエスさまがわたしたちにしてくださった「お約束」で、イエスさま

は今でもこの「お約束」を守ってくださっていて、わたしたちといつもいっし

ょにいてくださるのです。