カトリック香里教会主任司祭:林和則
本日のみことばである第一朗読、第二朗読、福音朗読に共通するテーマは「病いからのいやし」です。
第一朗読「列王記下5章14―17節」
第一朗読はアラムの王の軍司令官ナアマンの物語の終盤からの引用ですが、ぜひ列王記下5章に書かれている物語の全文を読んで頂きたいと思います。物語としても非常におもしろく、そこでは虚栄や保身に揺れ動く人間の矮小な心理と、それを貫く人知を越えた神のいやしの働きがみごとに描かれています。
舞台は紀元前9世紀後半で、現在のシリアに位置していたアラムの国の軍司令官であるナアマンが重い皮膚病にかかります。それに際して、北イスラエルから捕虜として連れて来られてナアマンの妻の侍女とされていた少女が「サマリア(北イスラエル王国の首都)にいる預言者エリシャのもとへ行けばいやしてもらえる」と言います。それでナアマンは主君である王に、自分がサマリアの預言者に会いに行くための紹介状を北イスラエルの王にあてて書いてもらうことを願い出ます。ここにはナアマンの尊大な虚栄心が働いています。王に紹介状を書いてもらうことによって、王に寵愛を受けているという自己の地位の高さを誇示し、預言者を恐れ入らせて最大の礼儀と懇切な治療を得ようとしたのです。
しかしながら、北イスラエルの王は衣を引き裂いて激怒します。王はこの手紙を「罠」だと考えたのです。治療不可能な病いを患っている重臣を送りつけ、それを治せと無理難題をふっかけて、攻撃の口実にしようとしているのだと邪推して、あわてふためきます。それに対して預言者エリシャが落ち着くように、ナアマンを自分のもとへ寄こすようにと王をさとします。エリシャは「彼(ナアマン)はイスラエルに預言者がいることを知るでしょう(5:8)」と王に告げますが、実はその王自身が預言者も神の力も信じてはいなかったのです。
そしてナアマンが来るのですが、莫大な報酬を用意し、多くの家来を引き連れ、権威の象徴である戦車に乗って、まさにこの世の虚飾の限りを尽くしてエリシャの家の入口の前に立ちます。ところがエリシャは出て来ることさえせずに、使いを送って「ヨルダン川で七回、身を浸せば治ります」と言わせるのです。ナアマンは激怒します。彼は自分の権勢の前にエリシャが恐れをなしてひれ伏し、莫大な報酬に大喜びをして懇切丁寧に治療を施すであろうことを当然として考えていたからです。それが出て来もしないで、川に身を浸せと人を馬鹿にしたようなことを指示されたわけです。おそらく、このままではすまさない、戻ったら北イスラエルに攻め入ってやろうと報復を誓いながら帰ろうとしますが、家来が懸命になだめて、とにかくヨルダン川に身を浸すだけでもやってみることにしたのです。ただ、ナアマンは「治る」とは全く思っていなかったことでしょう。
それが本日の箇所です。すると「彼の体は元に戻り、小さい子供の体のようになり、清くなった(14節)」のです。この「元に戻り」「小さい子供」のようになったという表現はナアマンが皮膚病だけでなく、もっと「重い症状」になっていた「魂の病い」をも「いやされた」ことを象徴していると思えます.。
その病いとは「虚栄心による傲慢」です。己の魂をこの世的な「虚栄」によって幾重にも覆っていたのです。それがヨルダン川に身を浸したことによって、すっかり洗い流されたのです。ナアマンはある意味、生まれ変わって「子供」に戻りました。神の前のありのままの自分、「裸」に戻ったのです。
私はこの箇所を読むと、「ヨブ記」の中の次のヨブの祈りを連想します。
「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。(ヨブ記1章21節)」
ナアマンは「裸」「ありのままの自分」に戻ることによって、再び神の御手にふれることができたのです。それまでは彼の魂は分厚い「虚飾」に覆われて、神の御手が入る余地はありませんでした。神のいやしを、神の愛を感じ、世の虚飾からは得ることのできない真の「喜び」を得ることができたのです。
そしてナアマンは預言者エリシャの家の入口の前に、今度は「「ありのままの自分」として立ち、それに応じてエリシャも出て来てナアマンの前に立つのです。ナアマンは贈り物を渡そうとしますが、エリシャはそれを受け取りません。なぜならばエリシャは、ナアマンをいやしたのは自分ではなく、神であることを知っていたからです。
それを悟ったナアマンはエリシャにイスラエルの土地の「土」を持ち帰ることを願います。異邦人の土地である自国に帰ったら、「まことの神の足台であるイスラエルの土」で祭壇を造り、神に「贈り物」を捧げようとしたからです。
第二朗読「使徒パウロのテモテへの手紙二2章8―13節」
パウロがこの手紙をテモテに書き送ったのは、先週も説明しましたように、テモテが信仰の危機的な状況に陥っていたからです。パウロに手を置いてもらうことによって、エフェソの教会の指導者として「長老」に任じられたテモテでしたが、何らかのトラブルが起こってしまいます。もしかしたら、信徒との関係がうまくいかなくなってしまったのかも知れません。いずれにしても、テモテは挫折感の中で自信を失い、心は深く傷ついていたことでしょう。テモテはそのために「心の病い」に陥っていたと考えられます。
パウロはこの手紙を書き送ることによって、聖霊によって与えられた使徒職に再び熱意を取り戻すようにと、懸命にテモテを励ましています。
今週の箇所ではパウロは、当時の初代教会の礼拝などで唱えられていたであろう賛歌を引用します。内容から考えて、この賛歌は迫害などの困難にあるキリスト者を励ますためのものであったと考えられています。
「わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きるようになる(11節)」
パウロはテモテに彼が受けた洗礼について思い起こさせようとしています。キリストの洗礼を受けたということは「キリストと共に十字架で死んだ」ことになり、そして復活して「キリストと共に生きるように」なったことだと言いたいのです。
「ガラテヤの信徒への手紙」では次のように書いています。「わたしはキリストと共に十字架につけられています。生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしのうちに生きておられるのです(2章19―20節)」
パウロはきっと「あなたは『あなた』として生きようとして、もがいている。しかし、もうすでに『あなた』は死んでいるのだ。今の『あなた』は『キリストと共に生きるあなた』なのだ。何を恐れることがある、何を恥じることがある。そんなものは全て十字架につけてしまって、ただ『キリスト』を生きなさい」というようなことをテモテに言いたかったのだと思います。「自分」ではなく「キリスト」を生きることによって、「自分」にまつわるもろもろの意識から解放されることができるのです。テモテはどこかで「自意識」や「プライド」の病いに陥っていたのかも知れません。
ミサの中での奉献文の締めくくりの言葉、「キリストによってキリストとともにキリストのうちに」は「キリストによって生き、キリストとともに生き、キリストのうちに生きる」というように、キリスト者の生き方を集約しています。
私たちがそのような生き方に自分を賭けていけるのは「キリストは常に真実であられる(13節)」という信仰に支えられているからです。
福音朗読「ルカによる福音17章11―19節」
福音ではイエスが10人の重い皮膚病をわずらっていた人びとをいやします。9人はユダヤ人で、一人はサマリア人でした。本来、敵対していたユダヤ人とサマリア人は一切、交わりを持つことはありませんでした。それが共に互いの社会、共同体から疎外、隔離され、共同生活をするようになっていたのです。敵対する者同士であっても、同じ苦しみを分かち合うことによって「差別」を乗り越えて行くことができるという例が示されていると思います。
イエスはこの十人をその場ではいやさず、「祭司たちのところに行って、体を見せなさい(14節)」と言われます。当時の社会にあっては、体がいやされるだけでなく、それを祭司に証明してもらうことによって、社会復帰が可能となりました。イエスは単にいやすだけでなく、彼らの社会復帰をも配慮しておられたのです。それで十人は祭司のもとへと向かいますが、ユダヤ人とサマリア人の祭司は別ですので、九人のユダヤ人はエルサレムの神殿の祭司へ、一人のサマリア人はサマリアの聖所の祭司へと別れて向かって行ったのでしょう。そして彼らは、その途中でいやされたことを知ります。
「その中の一人は、自分がいやされたのを知って、大声で神を賛美しながら戻って来た(15節)。」この「一人」がサマリア人でした。イエスはこのサマリア人にたいして「あなたの信仰があなたを救った(19節)」と言われます。これは逆に言えば、他の九人のユダヤ人には「信仰」があったことをイエスは証明されなかった、いえ、証明することができなかったと考えられます。
このサマリア人とユダヤ人たちの違いは、「いやし」をどのように捉えていたかの違いに根差していると思えます。ユダヤ人にとっては、それはあくまでも「治療」であったのです。当時のパレスチナにおいてイエスの名は奇跡的治癒者として広く知れ渡っていました。九人のユダヤ人たちはイエスを「医者」として「治療」を求めたのであって、「いやされた」ことも「イエスによって治療してもらった」という人間的な次元で完結してしまっていたのです。もちろん、ユダヤ人たちはイエスの「奇跡」に驚嘆し、感謝の念も抱いたことであろうと思われます。けれども、何よりもまず、社会復帰したい、家族のもとに帰りたい、イエスへの感謝は後日改めて、という「常識的」な思考の枠の中で判断をしたと思えます。
けれども、サマリア人はイエスのなさった「いやし」、イエスの「奇跡」にとどまらずに、その向こうに「神」を見たのです。神がイエスの手を通して私をいやしてくれた、そこに「神の愛」を見取ったのです。そこにおいて、「奇跡」は単なる魔術のようなものではなく、神の愛の「しるし」となったのです。
「奇跡」を通して「神が私を愛してくださっている」ことを知ったサマリア人はまさに天にも登るような喜びを感じたことでしょう。なぜならば、ユダヤ人もサマリア人も律法を信仰のより所にしていましたが、当時の律法では重い皮膚病にかかることは、その人が重い罪を犯したことに対する神からの罰であり、神から見捨てられた者と見なされていたからです。そして信仰深かった当時の民衆は病人自らもそのように信じて、自分は神から見捨てられた「罪人」であるという意識にさいなまれていたのです。サマリア人にしてみると、病いがいやされた以上に、「神は私を見捨てていなかった、神は私を愛してくださっている」という喜び、それは父のもとに立ち返った、あの「放蕩息子(ルカ15:11―32)」が父親の胸に抱かれた時のような喜びであったと思います。
だからこそ、サマリア人は「大声で神を賛美しながら戻って来た」、そうせずにはいられなかったのです。イエスの「奇跡」を神の愛の「しるし」として受けとめることができた、それがサマリア人の「信仰」であったのです。
