カトリック香里教会主任司祭:林和則
*本日9月14日は「十字架称賛」の祝日に当たっています。今年は日曜日に当たったため、本来の「年間第24主日」の典礼ではなく、「十字架称賛」の祝日の典礼が行われました。
本日の朗読配分は、第一朗読、福音朗読が共に「青銅の蛇」に関する箇所が取り上げられています。そのふたつの共通のテーマを持った朗読箇所に挟みこまれるようにして、第二朗読がその中心に配置されています。実際に本日のみことばの中心は第二朗読にあると言えます。ただし、それはパウロの書簡というよりも、その中に引用されている初代教会の「キリスト賛歌」が中心とされているのです。
第一朗読「民数記21章4b―9節」
エジプトの奴隷状態から神の御手に導かれて、自由の土地へと旅立ったイスラエルの民でしたが、40年もの間、荒れ野での旅をしなければなりませんでした。実はそれは、神が民を真の「自由」に導くための「試練」であったと考えられます。
エジプトでの奴隷状態からの肉体的な解放だけでなく、精神的な解放を神は民に与えたかったのです。それは地上的な、物質的な欲望から解放されることでした。
富や地位、名誉といった地上的な価値を私たちは求めます。けれども、それらを所有した時、実は私たちがそれらの「モノ」に所有されて「自由」を失ってしまうのです。手にしたモノを失うまいとして絶えず奪われる不安におびえ、他者がそれを奪う「ライバル」に見え、果てしもない疑心暗鬼に陥ってしまいます。また、もっと多くのモノを求めて絶えず飢え乾く「餓鬼」のような状態に陥りもします。それは「モノ」によってがんじがらめにされた魂の「牢獄」と言ってよい状態です。
そのような物質的欲望から解放して、真の「自由」を得させるために、神は民を「何もない荒れ野」に導かれたのだと考えられるのです。けれども、民は絶えず「食物」に象徴される物質的価値を求め、神とモーセに不平不満を述べ立てます。本日の朗読箇所のように「なぜ、我々をエジプトから導き上ったのですか(5節)」というように、神が民の叫びに答えて為された「救いのわざ」を否定し、拒否するようなことまで口にするのでした。
その言葉に対して、神は「炎の蛇を民に向かって送られ(6節)」ました。そして「民の中から多くの死者が出た(同節)」という事態になります。すると民はたちまち態度を変えてモーセに謝罪し、神に取りなしの祈りを願います。それをモーセは怒ることなく受け入れて、民のために神に祈ります。神はモーセに「炎の蛇を造り、旗竿の先に掲げよ(8節)」と言われ、モーセは「青銅で一つの蛇を造り、旗竿の先に掲げ(9節)」ます。
モーセによって上げられた青銅の蛇を仰ぐと、炎の蛇にかまれた人びとは再び「命を得た(同節)」のです。
福音朗読「ヨハネによる福音3章13―17節」
本日の福音のイエスのことば「モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられねばならない(14節)」は、先の民数記の「青銅の蛇」に自らをたとえて言われているのです。「青銅の蛇」は旗竿の先に上げられましたが、イエスは十字架によって「上げられた」のです。
それでは民をかんだ「炎の蛇」は、現在の私たちにとって何に当たるのでしょうか。それは自らが犯した「罪」ではないでしょうか。私たちが「罪」を犯す時、それが誰かに対してであっても、もっとも傷つけられるのは「自分自身」に他ならないのです。
イエスは「外から人の体に入るもので人を汚すことができるものは何もなく、人の中から出て来るものが、人を汚すのである(マルコ7章15節)」と言われています。人の中から出て来るものが罪です。心の中の欲望、怒り、ねたみなどが「罪」となって外に出て行くのです。「罪」は人の魂を汚し、傷つけます。その汚れと傷はついには魂を失わせるに至るのです。
「人はたとえ、全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。
自分の命を買い戻すのに、どんな代価を払えようか(マルコ9章36―37節)。」
私たちは失ってしまった命、魂を「どんな代価」を払っても「買い戻す」ことはできないのです。
けれども、イエスがその「代価」を私たちのために払ってくださって、私たちを「買い戻して」くださったのです。その「代価」こそが「十字架」です。イエスは私たちを罪からあがなうために、自ら「十字架」に身をゆだね、上げられてくださったのです。
その「十字架のイエス」を仰ぎ見ることによって、私たちは罪から解放され、「永遠の命を得る(15節)」ことができるのです。モーセが造った青銅の蛇を仰ぎ見た者は、確かに炎の蛇にかまれたことによる「死」から生き返りましたが、やがて死んで行きました。けれども、「十字架のイエス」を仰ぎ見た者は、もはや死ぬことはなく「永遠の命」の中に入って行きます。
それはただただ、「独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得る(16節)」ために「独り子をお与えになったほど(同節)」までに私たち一人ひとりを
愛してくださる神の愛によってもたらされた恵みなのです。
第二朗読「使徒パウロのフィリピの教会への手紙2章6―11節」
本日の朗読箇所である2章6節から11節まではパウロの創作ではなく、この手紙以前に初代教会に存在し、唱えられていた「キリスト賛歌」であると考えられています。
ただ、パウロは本来のキリスト賛歌に次のことばを新たに付け加えたと考えられています。
「それも十字架の死に至るまで(8節)」
本来のキリスト賛歌の8節は次のようであったと考えられています。
「へりくだって、死に至るまで従順でした。」
初代教会はキリストの死を「十字架の死」であるとせずに、単なる「死」としていたのです。これは明らかに意図されたことであって、あえて言えば初代教会は「十字架の死」を公には明言していなかった、と言うよりも「伏せていた」と言えるのではないかと考えられています。
現代の私たちには理解しにくいことですが、2000年前のローマ世界に生きる人びとにとっては「十字架の死」は受け入れることのできない、人間にとって「最低の死」であったからです。十字架刑はあまりにも残酷であったがために、ローマ市民権を有する「ローマ人」には適用されませんでした。ローマ帝国の植民地に生きる「外国人」がローマに反逆を行った場合にのみ、適用されました。
十字架刑は、その人の人間としての尊厳を完全に破壊する刑罰でした。その人がこの世に存在していたことを完全に抹消する刑罰でした。その人が「呪われた者」とされて、全ての人から忌み嫌われるようにする刑罰でした。
このような「十字架刑」が具体的に行われていた社会にあって、初代教会にとってキリストの死が十字架刑であったことを公言することは、宣教にとって大きな障害となったのです。たとえ、どのようにキリストの教え、その愛を伝えたところで、ひとたび「十字架の死」を口にしたならば、人びとは耳をふさぎ、顔を背けて「逃げ出して」しまっていたことでしょう。
そのため、初代教会は「十字架の死」を公言することを避けていたと考えられます。それに対して、パウロはおそらく怒りをもって「それも十字架の死に至るまで」と付け加えたのだと思えます。新共同訳の翻訳では「それも」ですが、他の翻訳では「しかも」と訳されているものがあります。「しかも十字架の死に至るまで」の方がより強くパウロの思いを表していると思えます。
パウロはキリストの死が「十字架の死」であったからこそ、その死は救いの完成をもたらす「死」になったのであって、「十字架の死」を伏せることは、「キリストの死」を意味のない「死」にしてしまうことになると考えていたと思います。
この「フィリピの手紙」をはじめ、パウロの書簡の多くは紀元50年代に書かれたと考えられていますが、おそらくパウロの宣教活動、書簡を通して初代教会の中に「十字架」が浸透していったと考えられます。パウロは初代教会に「十字架の神学」を打ち立てたのです。
現代の私たちキリスト教徒にとって「十字架」は恐れや嫌悪感をもたらすものではなくなっています。一般の人びともアクセサリーに用いたりしています。ただ、それが初代教会の状況にくらべて「よいこと」であるとは思えません。むしろ、「十字架」の恐ろしさを知ってこそ、「イエスの愛」そして「神の愛」の大きさ、すごさを実感することができると思えるのです。
それは「そこまでして」という実感です。
イエスは殉教するに当たっても、当時のユダヤ社会にあっては「石打ちの刑(教会の最初の殉教者ステファノなど)」「斬首(洗礼者ヨハネなど)」という方法があり、そのような「死」の方が当時の人びとも「殉教者」としての尊厳を重ね合わせやすかったことでしょう。
けれども「十字架」は人間として「最低の死」であり、殉教者の尊厳などありえなかったのです。そうです、キリストは単に「へりくだって(8節)」ではありません。キリスト賛歌においては神の子が「人間と同じ者になった(7節)」という受肉の神秘を「「へりくだり」として称えています。けれども、神の子は単に「人間」になったのではなくて、「十字架」を通して「最低の人間」にまで「へりくだって」くださったのです。それが父である神への「従順(8節)」であったということは、父である神も愛する独り子を「「最低の人間」とすることを選ばれたということになります。
それは全て、私たちの罪をあがない、救い出すためであったのです。このことを実感できればできるほど、私たちは十字架を仰ぎ見て、「どうしてそこまでして、私たちのために」「私たちを愛するあまり、そこまでしてくださったのですか」とただただ、神とイエスの愛の前に膝をかがめることしか、できないのです。
そして、「そこまでして」と実感できればできるほど、「そこまで」の愛によって私たちが愛されていることに感謝がわき起こってきます。喜びがわき起こってきます。この「感謝」と「喜び」をつかんだなら、信仰生活は「義務感」からではなく、まことの「喜び」に満ちたものとなります。毎日の生活が、神の愛によって輝き、全てのことが神の愛のしるしとして意味のあるものになります。
