2025年8月24日 年間第21主日(C年)のミサ

カトリック香里教会主任司祭:林和則

 

本日のみことば、第一朗読、第二朗読、福音朗読に共通するテーマは「神との関りを大切にし、それにふさわしい生き方をすること」です。

 

第一朗読「イザヤの預言66章18―21節」

「イザヤの預言」には、時代の異なる三人の預言者の預言が収められています。便宜的にそれぞれ「第一イザヤ(1―39章)」「第二イザヤ(40―55章」「第三イザヤ(56―66章)」と呼ばれています。三人の預言者の活動した時代を区分する出来事が「バビロンの捕囚(紀元前597―539年)」で、捕囚前が第一イザヤ、捕囚中が第二イザヤ、捕囚後が第三イザヤです。本日は第三イザヤの最終章の箇所に当たります。

第三イザヤの時代が捕囚後と言っても、紀元前539年にペルシア王キュロスによって、ユダ王国の捕囚民が解放され、故郷のエルサレムに帰還してから、おそらく30年から40年後の時代であろうと考えられています。その頃には神殿が再建され、エルサレムの城壁も修復されつつあり、ほぼエルサレムの復興は終わっていました。ですから、ユダの民が希望と喜びにあふれていた時代であったと考えられますが、実際には深い失望と虚無感に覆われていたのです。それはたとえ神殿が、エルサレムの街が建て直されようとも、ユダ王国の再興と国の独立が不可能であることを思い知らされたからです。ペルシア帝国は確かに神殿とエルサレムの街の再建の援助をしましたが、それはあくまでも「植民地支配」のための方策にすぎなかったのです。ユダの国土と民を復興させることによって、ペルシア帝国への安定した税金の徴収を可能にするためだったのです。けれども、けっしてユダ王朝の再興と国家としての独立は許しませんでした。ユダの民がそれを思い知らされたのが、バビロンから戻って来たダビデ王朝の最後の子孫であるゼルバベルがペルシアによって殺害され、ユダの地がペルシア帝国のユーフラテス西方管区に組み入れられたことでした。

19世紀後半から20世紀前半の帝国主義の時代にあって、しばしば列強諸国(日本もその中の一国でした)が植民地のインフラ、鉄道などを敷設して近代化を助けたとして、植民地支配にもいい面があったという言説があります。けれども、植民地として支配される国々にとって、もっとも手に入れたかったものは「独立」であり「自由」だったのです。それを奪ったことが、列強諸国の「罪」であり、その精神的苦痛、屈辱感は鉄道敷設などの「モノ」によって贖われるものではなかったのです。

古代ユダヤの民もいくら神殿や街が再建されても希望を失い、屈辱感と虚無感に捕らわれていました。そのために人びとの中には精神的な価値、自分たちの信じる宗教を捨てて、ひたすら地上的な富を追い求める者たちが現れ、彼らは手段を選ばずに、同胞を搾取しました。その過酷な状況の一端が、当時の文献である「ネヘミヤ記」に同胞から搾取される貧者の叫びとして記録されています。

「同胞もわたしたちも同じ人間だ。彼らに子供があれば、わたしたちにも子供がある。だが、わたしたちは(同胞から借りた金を返せないために)息子や娘を手放して奴隷にしなければならない(5章5節)」

このような同じユダヤ人同士でありながら強者が弱者を虐げるような状況にあって、第三イザヤは預言者として活動したのです。本日の預言の「生き残った者(19節)」とは、肉体的に「生き残った者」ではなく、このような状況にあっても「神との関りを大切にし、それにふさわしい生き方」をしている者たちのことです。ですから「死んだ者」とは「神から離れ、神との関りの中に生きていない者」たちのことと言えるでしょう。

そして神は「生き残った者」を「宣教」に派遣します。彼らが過酷な状況にあっても「神と正しい関係」にあることが人びとへの「しるし」となるからです。

そうして諸国に派遣された「生き残った者」たちは、新たな神の民を引き連れて「エルサレム」へと戻って来て、共に神を賛美します。こうして「エルサレム」は「死んだ者」があろうとも、新たな神の民を迎えて刷新されて行きます。このように、「エルサレム」という「中心」から「外」に派遣され、また「中心」へと戻る繰り返しによって「中心」は豊かにされて行くのです。

現代の私たちにとって「中心」は「教会」です。もちろん「建物」ではありません。そこで行われている「神の民の交わり」その中心である「ミサ」です。「ミサ」こそが私たちの「中心」であり、そこから私たちは「外」に派遣され、新たな民と共に「ミサ」に帰って来て、豊かにするのです。この繰り返しが「宣教」であり、こうして「ミサ」を「中心」とする「神の民の交わり」が、やがて「外」を包みこんで行くようになるのです。

 

第二朗読「ヘブライ人への手紙12章5―7、11―13節」

本日の朗読箇所には旧約の「箴言」の文章が引用され、また特に文中の「鍛錬」という言葉が本文中で何度も用いられています。本日の「聖書と典礼」の4頁の注釈5が「鍛錬」について次のように説明しています。

「『子ども(パイス:ギリシア語)』ということばから派生した語で、子どもに対する教育やしつけを意味する。」

また、本文でも「神は、あなたがたを子として取り扱っておられます(7節)」と書かれています。これらを読んで、皆さんの中には「私たちを子ども扱いにするのか」と反感を抱く方もおられるかも知れません。確かに皆さんは知識、能力、また「社会人」として「大人」であるでしょう。けれども「神の子」としては、まだまだ未熟な「子ども」なのです。私たちは洗礼の日に聖霊によって「神の子」として頂きました。でも、それは完全にではなく、「種」を頂いたようなものなのです。私たちは生涯をかけて、少しでも「神の子」に近づけるように、その「種」を努力して育てて行く必要があるのです。

その「神の子」の模範こそがキリストです。私たちの誰が「私はもう、キリストと同じ信仰を有している」「キリストと同じ愛を有している」と言えるでしょうか。キリストの信仰は「山を動かすほどの信仰(マタイ17:20)」であり、愛は「ご自分の命をささげる愛(使徒パウロのガラテヤの教会への手紙1:4)」です。このような「信仰」と「愛」を有していない私たちは「神の子」としては未熟であり「子ども」なのです。ですから、神からの「鍛錬」を受け入れるべきです。「鍛錬」は人生の苦難としてもたらされる場合が多いと思います。いくらそれが理不尽、また他人からの「悪意」であったとしても、逃げたり、憎しみに捉われることなく、誠実に関わって行くことによって、その苦難は神からの「鍛錬」になると思えるのです。

そして、この神の子として生きることこそが「神との正しい関り」を形作って行くことになると思います。神を父として仰ぎ、耳を傾け、子どものように信頼し、慕って生きることこそが私たちにとっての「神とのふさわしい関り」であると思えるからです。

 

福音朗読「ルカによる福音13章22―30節」

本日の福音は、イエスが「エルサレムへ向かって進んでおられた(22節)」途上の出来事であるとされています。マタイ、マルコ、ルカの「共観福音書」ではイエスの三年間の宣教生活において、エルサレムに向かわれたのはただ一度だけとされています。そしてそれはエルサレムにおいて十字架に架けられるためでした。ですから「十字架に向かって進んでおられた」途上での出来事だったのです。

十字架に向かうイエスに、ある人が「主よ、救われる者は少ないのでしょうか(23節)」と尋ねて来ます。それに対してイエスは「狭い戸口から入るように努めなさい(24節)」と答えられます。「狭い戸口」とは十字架の道行の途上にあっては、「十字架」と考えるのが妥当であると思われます。

けれども、イエスの時代の多くのユダヤ人は「十字架」を受け入れることができませんでした。その時代の文脈の中では、それは「十字架のメシア」を受け入れることができなかったということです。当時のユダヤ人は、自分たちをローマ帝国から解放して、世界を支配する民にしてくれる軍事的、政治的な「栄光のメシア」を望んでいたからです。

ただ、それは無理からぬことでした。ユダヤの民は民族の草創期からエジプト、アッシリア、バビロニア、ギリシア、シリアなど、そしてイエスの時代にはローマという大国によって、絶えず脅威にさらされ、時には侵略され、国を滅ぼされ、という弱小国の悲哀を味わい続けて来ました。特にローマ帝国は史上最大最強の帝国であり、自らの力によっては打倒することは不可能で、神の直接の介入を祈り求めるしか方法はありませんでした。それがメシアへの待望に結びついて行ったのです。それだけに、その「栄光のメシア」を拒否し、「十字架のメシア」

を示されたイエスは、ユダヤの民にとっては「裏切者」「愚か者」ととして失望と憎悪の対象となり「殺せ、殺せ。十字架につけろ(ヨハネ19:15)」という叫びになったのです。

ある意味、このような時代的状況が当時のユダヤの民に、十字架という「狭い戸口」を、より狭くしていたと言えるでしょう。

ただ、現代を生きる私たちにとっても、「十字架」は「狭い戸口」であり続けているのです。私たちはどうしても、この世的な「栄光」を求めがちであるからです。この世的な成功、それによってもたらされる地位や名誉、財産を欲する生

き方に傾きがちだからです。それは誰もが憧れる、誰もが入ろうとする「広い戸口」です。

それに対して「十字架」は、この世的な価値観とは真っ向から対立するものです。「福音的価値観」に従って生きる生き方です。キリストのように「自分を低くして、神と人とに仕える者」となる、「十字架」を通して己を捧げて行く「奉仕者」として生きる、そのような生き方です。世の人びとからは、嘲りを受ける

ような生き方です。けれども、その生き方こそが「神との正しい関り」を生きることになるのです。

「不義を行う者ども、皆わたしから立ち去れ(27節)」の「不義を行う者」とは「神との正しい関り」を生きていない者のことでしょう。「神との正しい関り」を持っていなければ、いくら「御一緒に食べたり飲んだり(26節:これはキリスト教では『ミサ』への参加でしょう)」「わたしたちの広場(『教会』になるでしょう)でお教えを受けた(同節)」と言っても、神から「お前たちがどこの者か知らない(27節)」と言われてしまうでしょう。なぜなら「神との正しい関り」の中にいなければ、その信仰は自己満足的な「神不在」の信仰になってしまうから

です。

 

私たちが「神との正しい関り」の中に生きるためには、まず何よりも「十字架のイエス」を見つめ、その十字架の道行を行くイエスに従って、共に歩んで行くことです。