2025年5月11日 復活節第4主日(C年)のミサ

カトリック香里教会主任司祭:林和則

 

第一朗読「使徒たちの宣教13章14、43―52節」

本日の朗読箇所では四つの集団に属する人びとが登場します。それは「ユダヤ人(43、45、50節)」「異邦人(46、47、48節)」「改宗者(43節)」「神をあがめる貴婦人たち(50節)」です。

「ユダヤ人」は「ユダヤ民族」というよりも、「ユダヤ教を信じる人びと」の集団です。実際に当時のローマ世界では、人種、民族に関わりなく、ユダヤ教を信じる人びとを「ユダヤ人」と呼んでいました。そして、当時のローマ世界に居住していた「ユダヤ人」は、ふたつのグループに分類することができます。

ひとつはエルサレムを中心とするパレスティナ地方に住む、いわば「生粋」の「ユダヤ人」です。彼らは厳格に律法を守り、割礼を受け、神殿での礼拝を大切にしていました。

もうひとつのグループはパレスティナではなく、いわば異邦の地に住む「ユダヤ人」です。この人びとはローマ帝国の各地に大きな共同体を築き上げていて「ディアスポラ」と呼ばれていました。特に地中海沿岸地方東部の大都市、エジプトのアレクサンドリア、シリアのアンティオキア、現トルコのタルソ(パウロの出身地)またエフェソなどにはとりわけ大きな居住地を持ち、さらに現地における有力者を輩出していました。

私たちはどこかで、ローマ世界における「ユダヤ人」を抑圧された、哀れな弱小民族ととらえがちですが、実際にはギリシア人と並んで、商業の民であり、ローマ帝国にあっては一大勢力を形成していたのです。これは私たちが新約聖書を読む際の歴史的背景として認識しておく必要があると思えます。そのため、その歴史的状況を記載している「キリスト教の二〇〇〇年(ポール・ジョンソン著、別宮貞徳訳・共同通信社)」から当該箇所を転載したいと思います。

「ヘロデ王の時代には、ユダヤ人のディアスポラはさらに拡大し、繁栄を遂げる。ローマ帝国はユダヤ人に対し、経済的なチャンスを与え、商品と人間の移動の自由を認めた。ローマが安定した社会を築いていた土地ではどこでも、ユダヤ人は豊かな共同体をつくっていた(中略)ローマ帝国の大都市では、ユダヤ人は豊かで勢力を増しつつある、自信に満ちた成功の民という印象を与えていた。ローマの社会制度のなかで、彼らはほかに類のないほどの特権を享受していた【*例として、ローマ市民権の取得、集会を開く権利、ローマ国教の遵守の免除などが列挙されています】(上巻27~28頁)」

そして特に留意すべきことは、ディアスポラのユダヤ人はユダヤ教を周囲の「異邦人」に広める、つまり「宣教」するのに熱心であったということです。その中でユダヤ教への「改宗者」が生まれてきます。彼らは「異邦人」でありながら、割礼を受け、律法を守る(特に食事規定)という完全な「ユダヤ教徒」となった人びとです。けれどもローマ社会で生活するには「割礼」はもちろん、食事規定や煩雑な律法を守ることは困難でした。そのためにディアスポラのユダヤ人は、割礼を受けず、また厳格に律法を守らずとも、ユダヤ教の神を認める人びとには「神をあがめる者(『神神を畏れる者』が一般的です)」という呼称を与えて、安息日における会堂での礼拝に参加することを認めていました。本日の「神をあがめる貴婦人たち」は、そのような「神を畏れる者たち」です。

ディアスポラにおける宣教の成果は、たとえばエジプトでは七人あるいは八人に一人は「ユダヤ教徒(ほとんどの者は神神を畏れる者』でした)」であったのです。それはディアスポラの「ユダヤ人」がギリシア語を話し、国際人で、自由で開放的で、「異邦人」に寛容であったからです。

そしてローマ帝国の人びとがユダヤ教に好感を抱いたのは、その神学の内容というよりも、その高い倫理観でした。親子の愛を大切にし、夫婦関係では貞節を重んじ、十戒に基づく盗みや嘘に対する強い嫌悪の情、商売における誠実実直な姿勢は高く評価されていました。そして隣人愛の実践を示す貧者、病者、孤児、寡婦らへのディアスポラにおける福祉制度は、ローマの行政制度にも模倣されるほどの尊敬をかち取っていました。

それに対してパレスティナの「ユダヤ人」については、先の「キリスト教の二〇○○年」では、次のように書かれています。

「パレスティナのユダヤ人、ましてやガリラヤのような半ユダヤ地域の人びとは、貧しく後進的で、反啓蒙主義者、狭量で原理主義的、教養が低く外国嫌いの傾向があった(上巻28頁)」

パレスティナのユダヤ人にとっては、「異邦人」は「偶像崇拝者」であって、律法に反する「汚れた者」として交際することをせず、「異邦人」への「宣教」などは思いもよらないことでした。そのため「改宗者」も「神を畏れる者」も、受け入れてはいませんでした。

イエスはこのような「パレスティナのユダヤ人」の中で宣教し、十字架につけられたのです。

また「使徒たちの宣教」の15章における、洗礼を受ける場合に割礼を受けさせるべきか否か、という論争は、エルサレムの中央教会が「パレスティナのユダヤ人」によって構成されていたからこそ、生じた論争であったと言えます。

いずれにしても、パウロは「ディアスポラのユダヤ人の共同体」の会堂を宣教の拠点として、巡り歩いたのです。

そして、エルサレムにあった初代教会の中央教会は70年のローマ軍のエルサレム侵攻によって滅び、ディアスポラにあった初代教会がやがてローマの都を中心として、現代に至るまでのカトリック教会の源流になって行ったのです。

 

第二朗読「ヨハネの黙示7章9、14b―17節」

14節bの「神その衣を小羊の血で洗って白くした』者」を、本日の「聖書と典礼」では「殉教者たち」としています。ただそれでは、「神の玉座の前にいて(15節)」神が「幕屋を張る(同節)」ことによって共に住んでくださり、キリストによって「命の泉(17節)」に導かれるのは「殉教者たち」だけである、というような印象を与えることになってしまうように思えます。

けれども「彼ら」はあくまでも『「自分の血」ではなく「小羊の血」で洗われたのです。ですから、キリストの血、キリストの十字架によってあがなわれた全ての人、具体的にはキリストの洗礼を受けた全ての人びとを指していると考えてもよいと思えます。

「わたしたちは洗礼を受けたことによってキリストと共に葬られ、その死にあずかる者となりました(使徒パウロのローマの教会への手紙6章4節)」

キリストの洗礼を受けた私たちは、キリストの血によって洗われ、神と共に生きる者という恵みに満たされているのです。

ちなみに「ヨハネによる福音」の1章14節の「言(ことば)は肉となって、わたしたちの間に宿られた」という、受肉の神秘を端的に表現する文章は、直訳すると「言は肉となって、わたしたちの間に幕屋を張られた」になります。

 

福音朗読「ヨハネによる福音10章27―30節」

本日の福音で、イエスは「わたしは彼らを知っており(27節)」と言われます。聖書において「知る」は単に「知っている」ではなくて「深い交わり」にあることを意味します。たとえば創世記4章1節における「アダムは妻エバを知った」はふたりが夫婦の交わりを持ったことを表現しています。

イエスは「深い交わり」にある人びとに「永遠の命を与える(28節)」と約束されます。この「与える」という言葉から、私たちがイエスから「永遠の命」を何か手渡しで頂くかのような印象を受ける人がいるかも知れません。「永遠の命」とは「頂く」ようなものではなく、イエスと「深い交わり」に入ることそれ自体が「永遠の命」なのです。

マタイによる福音22章31-32節において、イエスは復活を次のように説明しています。「死者の復活については、神があなたたちに言われた言葉を読んだことがないのか。神わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』とあるではないか。神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。」

神は「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」と言われることによって、彼らと「深い交わり」にある、と言われています。神は彼らが生きていた時から、彼らと「深い交わり」にありました。神は完全に誠実な方であるので、一度交わりを持った人との関係をけっして断つことはないのです。そのため、彼らがたとえ死んだとしても、その関係を続けられるのです。永遠の神と交わりを持ち続けることによって、同時に彼らも永遠に生きることになる、とイエスは言っておられるのです。そして父なる神と子であるイエスは完全に「一つである(30節)」ので、イエスと深い交わりにある人びとは、永遠の父である神とも「永遠の交わり」の中にあって、永遠に生きることになるのです。

ちなみに私は十数年前に、ある信徒から次のように言われたことがあります。

「神アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神』って、神さまは、この三人だけの神さまなんかいな。そんなん、えこひいきやわ。」

違います。「アブラハム、イサク、ヤコブ」は神に愛されている人びと、「神の民」の「代表」として名前があげられているのです。

どうぞ皆さん、この三人の名前の後に自分の名前を付けてください。たとえば、私でしたら、こうなります。

「神は言われた。神わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、林和則の神である』。」

神さまは本当に、皆さんお一人、お一人の神であり、もうすでに、皆さんと「深い交わり」を持ってくださっているのです。