2025年5月4日 復活節第3主日(C年)のミサ

カトリック香里教会主任司祭:林和則

 

福音朗読「ヨハネによる福音21章1―19節」

本日の福音の箇所は先週のヨハネによる福音20章(19―31節)の続きです。先週の箇所では、復活の日の夕方とその一週間後の日(主の日)に起こったとされる、ふたつの復活顕現物語が書かれていました。本日の箇所も復活顕現物語で、そのため14節で「イエスが死者の中から復活した後、弟子たちに現れたのは、これでもう三度目である」と記されています。ですから時系列的には、復活の日の一週間後の後に起こった出来事となるわけですが、実は、今日の復活顕現物語は先週の物語に続いての出来事を伝えているのではなく、先のふたつの物語とは別の新たな復活顕現物語であると考えられています。

まず、聖書学では先週の箇所(20章)をもって本来のヨハネによる福音書は終わっていて、今週の21章は後になって付け加えられた箇所であると考えられています。先週の20章の末尾「このほかにも、イエスは弟子たちの前で、多くのしるしをなさったが、それはこの書物に書かれていない(31節前半)」というのは、「これをもって、この書物は閉じられる」ということが意図されていると考えられるからです。

また、本日の復活顕現物語の冒頭が復活の日の弟子たちの状況、すなわち「自分たちのいる家の戸に鍵をかけて(20章19節)」「閉じこもっていた」という状況に戻ってしまっているとしか考えられないからです。

そう考える根拠は、「わたしは漁に行く(3節)」というペトロの言葉は、その状況の中でしか出て来なかったと言えるからです。この「漁に行く」という新共同訳の翻訳は、原文のギリシア語に基づけば「漁へと立ち去る」というように翻訳することも可能なのです。その翻訳に従えば、ペトロは「漁に行く」ことによって「何か」から「立ち去る」、離れようとしている、ということになります。

その「何か」こそは、ペトロが「イエスの弟子として過ごした日々」であったと考えられます。イエスの十字架の死は弟子たちに大きな衝撃を与えました。もう立ち上がれないほどの絶望感です。しかもその絶望は悲哀よりも、罪悪感に満たされているものでした。先週の説教で申し上げましたように、ペトロたちもイエスを「裏切った」のです。自分たちが逮捕されないために、大祭司と取引をした可能性もあるのです。ペトロたちにしてみれば、自分たちもイエスを十字架の死に追いやった者たちの一人なのだ、という思いであったのでしょう。そのために、イエスの逮捕と死からの三日間、ペトロたちは出口のない、迷路のような思いに閉じ込められて家に閉じこもり、自分たちの心の中に屹立しているイエスの「十字架」の周りをぐるぐると堂々巡りをしていたのだと思われます。

そして、疲れ果てたペトロは「もう、何もかも忘れよう」という空虚な心で「漁に行く」という言葉を発したのです。「考えても仕様がない。イエスさまと生きた日々の思い出は、もう、全て忘れよう。私たちはイエスさまと出会う前の『漁師』に戻るんだ。何もなかったんだ。すべて、夢だったんだ。」

そして他の弟子たちもペトロを引き止めようとはせずに「わたしたちも一緒に行こう(3節)」と言うのです。「そうだ、全て忘れよう。元の『漁師』の生活に戻ろう」ということでしょう。そして、イエスに呼ばれた時に捨て去っていた「舟(3節)」にまた、「乗り込んだ(同節)」のです。

けれども「何もとれなかった(同節)」のです。それはつまり、元の「漁師の生活」には「戻れなかった」ということを象徴していると思えます。ペトロたちはこう、思ったかもしれません。「やはり、イエスさまを裏切った私たちは、もう一生、神さまから赦してもらうことはできないんだ」

でも、その「絶望の夜」が明けるのです。そして「イエスが岸に立っておられた(4節)」のです。「立つ」というギリシア語の言葉は「復活する」という意味にも使われます。ですから、この「夜明け」は「復活の日の朝」であったと考えるべきでしょう。「復活のイエス」は弟子たちに呼びかけます。

「子たちよ、何か食べる物があるか(5節)」この「食べる物」は単なる「食べ物」だけではなく「生きて行くための希望」の象徴であると思えます。ですから弟子たちは「(希望は)ありません(同上)」と答えたのです。その答えに対してイエスが出した指示に従って打った網にかかった多くの魚は、「復活のイエス」がペトロたちに与えた「新たに生きて行くための大きな希望」であったと思います。

「イエスの愛しておられたあの弟子がペトロに『主だ』(7節)」と言うと、ペトロは湖に飛び込みます。この「飛び込み」は一般的には、ペトロが少しでも早くイエスのもとに行きたくて、泳いで行くためだったとされています。他には、これはペトロの「洗礼」であったとする解釈があります。イエスを裏切ったペトロが水の中に「浸される」ことによって、罪を犯した自分に死んで、新たにキリストの弟子として生まれ変わったということです。洗礼の秘跡は出エジプトのイスラエルの民の紅海の渡海に例えられています。

「紅海が洗礼の泉をかたどり、解放された民はキリスト信者の姿を表すことを教えてくださいました(復活徹夜祭の「出エジプト」の朗読後の祈願文)」

ペトロはガリラヤ湖の水を通ることによって、罪から解放され、再びイエスの弟子となることができたのです。

そして岸辺での食事、「イエスは来て、パンを取って弟子たちに与えられた(13節)」は最後の晩さんの記念、今、私たちが祝っているミサを表しています。復活のイエスはご自分の体を弟子たちに、そして今も私たちに、まことの命の糧として与え続けてくださっているのです。

この聖餐の後、イエスはペトロに三度も「わたしを愛しているか」と問いかけられます。ペトロはこの同じ問いかけの繰り返しを、イエスが自分の罪を責めておられるのだと考えて「悲しく(17節)」なりました。その罪とはイエスが逮捕された時に、ペトロが三度もイエスを「知らない」と否認したことです。このペトロの否認は、受難物語において大きくクローズアップされ、強調されています。まず、共観福音書だけでなく、ヨハネも含めた四つの福音書全てに記載されています。しかも、イエスはペトロの否認を事前に予告していて、「鶏が鳴くまでに」という時刻までも明確にしているかのような印象的な表現が共通して記載されています。これは受難物語が成立(最初は口伝で)する、かなり初期の段階から広く、よく知られていた情報であったことを示していると思われます。そう考えた時に私たちが想起すべきことは、この情報がペトロ自身から出たものではないか、ということです。しかもペトロはイエスの生前からイエスご自身によって、使徒の頭とされていて、初代教会にあっても、そのような地位にあったのです。

だとすれば、常識的に考えれば、権力の座にある者として、自分にとって「不都合」と思われる情報はもみ消そうとします。実際、現代に至るまで、政治、経済などの世界において、これは絶えず生じている現象だと言えます。

それが四つの福音書全てに、教会の頭であるペトロにとっての不都合な「情報」が記されている事実は、ペトロ本人がこの「情報」を人びとに伝えた、しかもかなり積極的に伝えた、としか考えられないのです。これはペトロにとってはまさに「「償い」であり、彼は教会の前に頭を下げて「へりくだった」のです。この「情報」はある意味、ペトロにとっての「十字架」であったと言えます。ペトロは最終的に十字架によって殉教しますが、ペトロは既に「自分の十字架」を担っていたのです。それがイエスに従う道であり、ペトロは仮にこの「「醜聞」によって自らの地位を失うことになろうとも、イエスに従う道を選んだ、と言えます。自らの「弱さ」を認めて、人びとの前にへりくだることができる人であったからこそ、ペトロはイエスによって使徒の頭に選ばれたのだとも思えます。

このイエスの三度の問いかけは、実はペトロの三度の否認を帳消しにするものであったと考えられています。イエスを「知らない」と三度言ったペトロに、イエスを「愛しています」と三度言わせることによって、その罪を帳消しにしようとされた、イエスのペトロへの愛の行為であったのです。

けれどもペトロはまだ罪悪感を持ち続けていたがゆえに、それを受け止めることはできなかったのですが、「主よ、あなたは何もかもご存知です(17節)」と答えます。ペトロは次のように、イエスに言いたかったのでしょう。

「主よ、あなたは私の弱さも小ささも、全てご存知です。私は強く、大きな者ではありません。私には誇れるものなど、ありません。けれども、ただひとつ、誇れるものがあります。それは、私はあなたを愛している、ということです」