カトリック香里教会主任司祭:林和則
第一朗読「出エジプト記3章1―8a、13―15節」
私事ですが、この出エジプト記の「燃える柴」と呼ばれている、エジプトの奴隷状態からイスラエルの民を救い出すようにという使命を神がモーセに与える箇所は、神が私に直接に語りかけてくださったと思えるような、私の人生にとって決定的な体験を与えてくれた、とても大切な箇所です。少し長くなりますが、皆さんにその「体験」を紹介したいと思います。
私は在日韓国人の三世として生まれました。子どもにつらい思いはさせたくなかったからか、在日であることを隠すようにという両親の方針で育てられたこともあって、中学生になって初めて自分が日本人ではないことを理解しました。気持ちが揺れ動く中、学校でも韓国人であることを隠していました。そんな私にとって、在日であることは重荷以外の何ものでもありませんでした。
学生であった頃、軍事政権下の韓国の光州で大規模な民主化運動が起き、多くの学生が軍隊の武装鎮圧により命を落としました。同じ年代の同胞の学生たちが亡くなっていく中、自分が韓国籍であることも言えず、何もできずにうじうじと生きている自分に非常に苦しみました。日本人にも韓国人にもなれない、自分はいったい何者なのか、自分がまるで根無し草のように思えました。
悩みながらも神様の導きで召命を感じた私は、神学校に入りました。25歳の時初めて上智大学で聖書学を学び、聖書の奥深さを知りました。その中で、この箇所に出会った時、モーセが自分自身と重なり合いました。エジプト人とヘブライ人のはざまにあって自己のアイデンティティの揺らぎに苦しむモーセは、まさに私自身だったのです。
本日の朗読箇所では省略されていますが、神からイスラエルの民を救い出すようにと命じられたモーセの第一声は「私は何者でしょう(3章11節)」だったのです。エジプト人から拒否され、イスラエル人からも同胞として受けいれてはもらえなかった、何者にもなれない自分、そんな自分がイスラエルの民を救い出すことなどとても無理ですと、モーセは何度もその使命から逃げようとします。しかし、神は彼を決して見捨てずに本当に根気よく、何度もモーセを説得しようとされます。自分を見出すことのできない、逃げてばかりいる情けないモーセを神は選んだのです。それはモーセにその能力や資格があると考えたからではなく、モーセに自分らしく生きる喜びを与えようとしてであったのです。
モーセに神の名を問われて、神は「わたしはある(14節)」と答えられます。それは一般的な意味での名ではなくて、モーセとの関係性においての、モーセのための名乗りであったのだと思えます。神はモーセにこう言われたのです。
「あなたのアイデンティティ、存在意義は私とともにあること。私はある、だからあなたもあるのだ」
そう思えた時、旧約聖書のこの箇所を通して、神がモーセに語りかけられたように、まさに今、神が私に語りかけているように思えたのです。
司祭に憧れて神学校に入ったもののまだ司祭になれる自信は持てないでいました。それは何より「私」の中に「私」が確立されていなかったからです。
「神は私を救うため、私が『 私である』ために司祭召命を与えてくださったのだ。 いつも私がある。お前と一緒にいる。さあ行くがよい』と、神は語りかけてくださっている。私の力ではなく、神がともにいてくださるから司祭になれる」と、聖書を読みながら、私は神と「対話」していたのです。
そして自分が「在日」として生まれて来た意味がわかったのです。
マイノリティーとして差別される側に生まれたことによって、差別される苦しみを知り、神はいつも差別される側にいることを知りました。『「在日」としての苦しみがあったからこそ、キリスト教の洗礼を受け、今、司祭になろうとして神学校に入り、この聖書の言葉に出会えたと思えました。すべては神のわざ、導きであった、ということが天啓のように来て、「ああ、神さまは私が生まれた時からずっと、私と共にいてくださった。そして、今日、モーセを呼ばれたようにこの聖書を通して、私に呼びかけてくださった」と。私はこの聖書の言葉が私のために用意されていたようにまで、思えたのです。神は「燃える柴の木」の箇所でモーセを待っていたように、私を待っていてくれたのです。
旧約、新約聖書は私たち一人ひとりのために書かれたのだと言えると思います。この聖書が書かれた時、神はもう「あなた」の存在を知っていて、いつか、あなたが聖書のある箇所を読むことを計画されていたのです。
私は妄想を語っているとは思っていません。なぜなら、お話ししましたように、私はそれを「体験」したからです。私自身が「証人」です。この聖書の言葉は私のために用意され、書かれたのだ、という「体験」をしたのです。
皆さんも聖書を読んでいれば、きっとそのような『「体験」をすることができると、私は確信しています。聖書は時空を超えて、神が私たち一人ひとりのために聖書記者の手を通して書かれた「生きた神のことば」だからです。
でもそのためには、何よりも聖書を読まなければ始まりません。ぜひ、聖書を単に読むだけでなく、黙想しつつ読んでください。そのための方法として、前にもお勧めしましたように、典礼暦の朗読配分に従って、毎日、聖書の短い箇所を読み、神と「対話」する時間を持つようにしてください。神はいつも、あなたを待っています。
第二朗読「使徒パウロのコリントの教会への手紙一10章1―6、10―12節」
本日のコリントの教会の信徒への手紙の中で、「出エジプト記」の荒れ野での旅路における出来事は、キリスト者を導くために神が「前例(6節)」として起こされたものであると、パウロは語っています。パウロも旧約の神の言葉を過去のものではなく、今の自分たちに向かって語られている「生きた言葉」として受け止め、聖書を通して神と「対話」していたのです。
「霊的な食物(3節)」は神が天から与えたパンである「マナ(出エジプト記16章)」を指し、「霊的な飲み物(4節)」は神の言葉に従って、モーセが杖で打った「岩からほとばしり出た水(出エジプト記17章1―7節)」を指しています。
キリスト者にとって「マナ」はもちろん、「天から降ってきたパン(ヨハネ6章41節)」であるキリストの「聖体」です。「霊的な飲み物」は最後の晩さんで「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血(ルカ22章20節)」と言われたキリストの「血」であるぶどう酒です。
そしてパウロはモーセが杖で打った岩を「自分たちに離れずについて来た霊的な岩(4節)」というように表現しています。聖書本文ではこの「岩」は17章の当該箇所にだけしか出て来ません。それがその後もずっとイスラエルの民に「ついて来た」というのはユダヤ教の伝承によっています。ユダヤ教の伝承では、この「岩」はイスラエルが荒れ野を旅する間、離れることなく、まるで「給水車」のように民の後をついて移動したとされているのです。パウロはキリスト者にとっては、「この岩こそキリストだったのです(4節)」と語ります。これはいつも共にいてくださって、私たちの信仰の旅路に「ついて来てくださる」キリストという、大きなイメージでとらえることが一般的な解釈であると思われます。
ただ、先の「霊的な食物」「霊的な飲み物」との文脈の中で考えるならば、この「岩」は「ミサ」の象徴であると考えることができると思います。荒れ野において、たえず渇きに苦しむ民の後を「岩」がついて行き、新鮮な水を与え続けたように、キリストは私たちの人生の旅路に「ミサ」を通して、絶えず「霊的な食物」と「霊的な飲み物」を供給してくださるのです。「ミサ」は私たちの信仰生活にとって、命の泉です。そこから命の水がほとばしり出て、命のパンが湧き出て来るのです。時には荒れ野のような、私たちの人生の旅路を「ミサ」という「岩」はいつもついて来てくださるのです。
毎週の「主の日」に「ミサ」は行われています。その恵みは、キリストが与えてくださるのです。それを無視して通り過ぎることがあってはなりません。
福音朗読「ルカによる福音13章1―9節」
本日の福音は前半と後半に分けることができます。前半は1節から5節までで、当時のユダヤ教の信仰に根強く結びついていた「因果応報」的な考え方を、イエスが否定することがテーマになっています。
後半は6節から9節までで、ぶどう園の中に植えられたいちじくの木のたとえ話です。本日は後半のたとえ話について、皆さんと分かち合いたいと思います。
まず「いちじくの木」は福音書においては「終末」もしくは「裁き」の象徴として用いられています。ルカ21章のイエスが終末について語る「小黙示録」と呼ばれている箇所では「(いちじくの木の)葉が出始めると、それを見て、既に夏の近づいたことがわかる。それと同じように、あなたがたは、これらのことが起こるのを見たら、神の国(終末)が近づいていると悟りなさい(30―31節)」というように、いちじくの木の葉が茂ることが終末の到来の象徴にされています。
本日の箇所では終末における「裁き」の面が強調されています。
「もう三年もの間(7節)」の「三年」はイエスの宣教生活の期間を指していると考えられます。イエスは30歳で宣教を始められ、33歳で十字架で亡くなられました。イエスの宣教によっても「実」がならない、というのはユダヤ人たちが「回心の実」を結ばないということをたとえているのでしょう。それで主人は「切り倒せ(同上)」と命じます。それは終末における、決定的な裁きです。
それにたいしての「園丁」の「ご主人様、今年もこのままにしておいてください(8節)」との懸命の訴えは、「どうか、彼彼女らを滅ぼさないでください」というイエスの訴えにほかなりません。
カファルナウムを拠点としたガリラヤ地方のイエスの宣教活動は失敗した、人びとは受け入れなかったと考えられています。人びとの頑なさにぶつかってもなお、イエスは人びとを救おうとされ、そのために十字架へと方向転換されたと考えられます。
そうすると、「木の周りを掘って、肥やしをやってみます(同上)」の「肥やし」とはイエスご自身の十字架を通しての「いけにえ」であったことがわかります。イエスは実をならせるために、自らを「肥やし」にして捧げられたのです。
それは今も続いています。今年もまた四旬節がめぐり来たのに、私たちはまだ「回心の実」をならせることができません。あいかわらず中途半端で、行ったり来たりしているような信仰生活を送っています。これでは「切り倒せ」と言われても仕方がないような状態です。けれども、イエスはそんな私たちのために「このままにしておいてください」と父である神にとりなしてくださり、今日もミサの「最後の晩さん」の記念を通して十字架にのぼられて、自らをいけにえとして、私たちに「肥やし」を入れてくださるのです。何度でも、何度でも入れてくださり、私たちの「実」がなることを、あきらめずに待っていてくださるのです。
