カトリック香里教会主任司祭:林和則
第一朗読「イザヤの預言6章1―2a、3―8節」
本日の「イザヤの預言」は「第一イザヤ」と呼ばれるイザヤの召命の箇所です。
「(南ユダ王国の)ウジヤ王が死んだ年(1節)」は紀元前739年であると考えられています。その時代はアッシリア帝国が強大になり、周辺諸国を侵略しエジプトまでも支配下に治めようと、その進路に位置する北イスラエル王国はじめ南ユダ王国にも軍事的圧迫を加えていて、両国はその脅威に怯え、王たちは右往左往していました。その王たちに対してのイザヤの預言は終始一貫していました。
「おまえたちは、立ち帰って静かにしているならば救われる。安らかに信頼していることにこそ力がある(イザヤ30章15節)」
人間的な考えや能力に頼ろうとして、自己の思考の狭い枠の中を堂々巡りするのではなく、ただ静かに落ち着いて、神に信頼することによって「力」を得ることができるということです。これは、日々の悩み事に自分の狭い思考の枠の中で右往左往している私たちにも響く預言です。
そのような危機的状況にあって、イザヤは神に召されて幻の中で神の栄光を見ます。その圧倒的な姿の前で、イザヤは己の卑小さを痛感させられ、「災いだ。わたしは滅ぼされる。わたしは汚れた唇の者(5節)」と震えまののきます。「するとセラフィムのひとりが(6節)」イザヤのところに飛んで来て、「祭壇から火鋏で取った炭火(同上)」の火をイザヤの口に触れさせて、罪のゆるしを宣言します。「そのとき(8節)」神が「誰を遣わすべきか(同上)」と言われるのです。これは明らかにイザヤの罪が赦された「そのとき」です。神は不特定の「誰か」に語られたのではなくて、イザヤに向かって語りかけられたのです。であれば、神がセラフィムを遣わされたのだと考えられます。神ご自身が、イザヤにゆるしを与えられたのです。
イザヤは、その神の自分にたいする計らいと慈しみを感じ取ったのです。その感謝から、神の恵みに応えるために「わたしを遣わしてください(8節)」という言葉がためらうことなく、唇からほとばしり出たのです。
私たちも洗礼の日に「聖霊の火」に触れて頂いて「罪は赦された」のです。
そして「そのとき」キリストは「「誰を遣わすべきか」と私たち一人ひとりに呼びかけられたのです。私たちもそれに応えて「わたしを遣わしてください」と答えて、宣教に派遣されて行きましょう。
第二朗読「使徒パウロのコリントの教会への手紙一15章1―11節」
本日の朗読箇所の中には初代教会に関する重要な情報が含まれています。それは現代の教会の「使徒信条」に相当するような、初代教会にまける復活についての信仰を表明しているもっとも古い伝承で、当時の教会でミサ(当時は「パン裂き」と呼ばれていました)の時などに唱えられていたと考えられます。
イエスが十字架上で亡くなり復活したのが紀元30年で、この手紙が書かれたのは紀元54年であると考えられていますから、24年間の初代教会の発展の中で形作られた、復活についての信仰内容を表す伝承です。
「キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり、三日目に復活したこと、ケファ(ペトロ)に現れ、その後十二人に現れたこと(3b―5節)」。
この中で注目されるのは「十字架」という言葉が使われていないということです。現在の「使徒信条」のように「わたしたちの罪のために『十字架で』死んだこと」と書かれるべきであったと思われます。それではなぜ、「十字架」が「伏せられている」のでしょうか。
それはやはり当時のローマ世界にあっては、「十字架」が非常な恐れと嫌悪感を人びとに与えてしまうので、宣教するうえで大きな妨げになってしまうために、初代教会はこの言葉を使うのを避けたのだと思えます。それに対してこの「十字架」こそがキリストの啓示にまける中心的なメッセージであるとして、積極的に信仰の前面に打ち出したのがパウロです。パウロは手紙を通して「十字架の神学」を確立し、まそらくパウロ書簡が初代教会の信仰養成のための重要なテキストとされていくに従って、「十字架」という言葉が初代教会の中で唱えられていくようになったのでは、と考えられます。
逆に私たちは「十字架」にすっかり「慣れて」しまっていると言えます。十二使徒たち、初代教会の信徒たちにとって「十字架」への恐怖、嫌悪感が強かったからこそ、逆にその「十字架」で死んでくださったイエスの愛の「物すごさ」を実感できていたのだろうと思えます。私たちも「十字架」による人間としての「最低の死」を思うことによって、神の子がそれを受け取られたという神秘に思いを致すことができると思います。
6節から8節までの「五百人以上の兄弟たち」「その後すべての使徒に現れ」といった表現はパウロが独自に付け加えたものです。「五百人」というのは実際の人数ではなく「多くの兄弟たち」もしくは「全ての兄弟たち」を表すための象徴的な数字であると思えます。ここでパウロが言いたいことは、当時の教会の使徒たち、全ての信徒たちの中にあって自分は「最後の者」「月足らずで生まれたような者」であるということです。自分を教会の中にあって最後尾にいる、不完全な信徒としているのです。パウロは自分をキリストの「使徒」と名乗っていましたが、それは「指導者」としてではなく、「奉仕者」としての「使徒」であることをよく理解していたのです。
福音朗読「ルカによる福音5章1―11節」
本日の箇所はルカによるペトロの召命の物語です。
イエスのペトロにたいする「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい(4節)」という指示にたいしてペトロは「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何も取れませんでした。しかし、ま言葉ですから、網を降ろしてみましょう(5節)」と答えます。この答えはペトロがイエスの言葉を信じて、それに従ったかのように受け取れますが、私にはそうではないように思えます。ペトロの言葉の子にはどこか、イエスにたいするあざけりのようなものを感じます。
ガリラヤ湖の漁は魚が水面近くに上がって来る夜に行われました。湖底近くに潜っている日中では、当時の網では届かなかったからです。それを前提にしてペトロが「夜通し」と言っているのは、次のようなニュアンスを含ませているのではないでしょうか。「あなたは『先生』としてはご立派ですが、漁は夜中に行うものなんですよ。その夜中にとれなかったんだから、まして日中に網を降ろしたって魚がとれるわけがないんですよ」。
そこには自分が漁の「専門家」であり、イエスは漁に関しては「しろうと」に過ぎないという決めつけがあり、『「専門家」の自分にたいして「しろうと」のイエスが指図するな』というような侮りと腹立ちがあるように感じます。
そして「お言葉ですから」も「まあ、そう言われるんなら、網を降ろしてみましょうか。どうせ一匹もとれはしないで、先生が恥をかくことになりますがね」というような優越感とイエスに思い知らせようとするような意地の悪さを感じてしまいます。
ところが、思いもしなかったような大漁となります。
「これを見たシモン・ペトロはイエスの足もとにひれ伏して、『主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです(8節)』」と言います。
ペトロの「罪」とはどのような罪であったのでしょうか。それは、自分は専門家だと思い上がり、自分の能力を信じて、神の言葉を信じなかったということにあったと思います。イエスへの呼びかけが「先生」から「主」に変わっているのは、イエスの言葉に「神のわざ」が働いていたのを見たからです。ペトロは人間的な知識、常識の世界から、イエスによって、神の支配する世界へと導かれたのです。「沖に漕ぎ出して」というのは、「指示」ではなく、新たな世界への「招き」であったのです。「沖」は安全な「岸(2節)」からしてみると、人間的な知識の及ばない未知の世界です。イエスは人間的な知識に安住しているペトロに、無限の可能性を秘めた神の国へと「漕ぎ出す」ようにと招かれたのです。「大漁」に象徴された神の国の豊かさを見たペトロは「すべてを捨てて(11節)」これまでの自分の知識や能力ではなく、ただ神のみを信じて生きて行く新たな生命の道を、イエスに従う生き方の中に見出したのです。
