カトリック香里教会主任司祭:林和則
第一朗読「バルクの預言5章1―9節」
「バルクの預言」はヘブライ語ではなくギリシア語で書かれていて、旧約聖書続編に入れられています。三つの異なる文書によって構成され、本日の箇所は三つ目の「エルサレムへの励ましと慰め」と呼ばれている文書から取られています。
成立時期については諸説あって一説では紀元前130年代とされています(注)。内容は紀元前539年、バビロンの捕囚から解放された民のエルサレムへの帰還の喜びが描かれています。紀元前130年代はユダヤ教徒を迫害したシリアのセレウコス王朝から独立を獲得した時期に当たります。その喜びをバビロン捕囚からの解放に重ね合わせて語っていると考えられています。
7節の「すべての高い山、果てしなく続く丘は低くなれ、谷は埋まって平地になれ」は、バビロン捕囚時の「イザヤ書40章4節」を模倣して書かれています。
「イザヤ書40章」は本日の福音朗読にも引用されていて、そのつながりから、本日の箇所が第一朗読として選ばれています。
(注)当日の説教においては紀元前300年頃に成立したという説を使って説明しました。その説においてはアレキサンドロス大王のマケドニア帝国からの独立をバビロン捕囚から解放された喜びに重ね合わせているとされていました。しかしながら、今回の「説教の要約」の作成に当たって、改めていくつかの注釈書に当たってみましたが、紀元前130年成立説の方が有力であると思えましたので、上記のように修正いたしました。
第二朗読「使徒パウロのフィリピの教会への手紙1章4―6、8―11節」
パウロはフィリピの教会の信徒のために祈る度に喜びを感じる理由を次のよ
うに書き記しています。
「それは、あなたがたが最初の日から今日まで、福音にあずかっているからです(1章5節)」
「最初」「初め」という言葉を聞くと、ユダヤ教徒は聖書の巻頭の書である創世記の冒頭に置かれている言葉「初めに、神は天地を創造された(1章1節)」を思い起こします。この手紙においてもパウロはそのことを意識して書いていると思われます。
キリストの福音に出会った「最初の日」こそが新たな「天地創造」の日であると、パウロは伝えようとしているのです。福音を通してキリストと出会ったことによって、今まで生きて来たこの世界が、新たに再創造されるのです。
私たち一人ひとりも、そうなのです。福音を通して、教会を通して、キリストと出会った日から、私たちの人生はこれまでとは違う、全く新たな人生に変わったのです。無意味な偶然の出来事の日々の積み重ねにすぎなかった人生が、意味のある、神の愛に包まれた恵みを生きる人生に変わり、私たち自身も変わった、というよりも「生まれ変わった」のです。
福音を通してキリストと出会った「最初の日」、全てが新たにされます。パウロはそれをダマスコへの旅の途上において、直接的に復活のイエスと出会ったことによって体験する恵みを得ました。
けれどもどのような形であれ、キリストと出会う恵みの豊かさに変わりはなく、皆、同じように「古い人を脱ぎ捨て、新しい人を身に着け(エフェソの教会への手紙4章22―24節より抜粋)」るようにして頂いたのです。
パウロは今日、第二朗読を通して「フィリピの教会」だけでなく、私たち「香里の教会」のためにも祈り、呼びかけています。
「「皆さん、わたしは、あなたがた香里の教会一同のために祈る度に、いつも喜びをもって祈っています。それは、あなたがた香里の教会の皆さんが最初の日から今日まで、福音にあずかっているからです。」
このパウロの祈りに応えて「福音にあずかって」生きて行きましょう。
福音朗読「ルカによる福音3章1―6節」
本日の福音の冒頭で、ルカは当時のローマ帝国そしてユダヤ周辺地域における支配者、権力者であった人びとのそうそうたる顔ぶれを列挙します。
第二代ローマ皇帝ティベリウス、ローマの直轄地であったユダヤを統治する総督ピラト、ガリラヤの領主ヘロデ、イトラヤとトラコン地方(パレスチナ北東部)の領主フィリポ、アビレネ(現在のシリアの首都ダマスカスの周辺地域)の領主リサニア、そしてユダヤの政治、宗教の実質的指導者であった大祭司アンナスとカイアファと次々に列挙されて行きます。
そして彼らの名の後に「神の言葉が降った」という出来事が語られます。
けれども「神の言葉」は先のこの世における支配者たち、歴史上に名を残した
者たちには降らないのです。何ら社会的地位も財産も持たない無名の存在である「ヨハネ」に降ります。また先の支配者たちが都市の中心部の豪奢な宮殿に住んでいるのに対して、ヨハネは荒れ野に住んでいます。その「荒れ野」に「神の言葉」は降るのです。
旧約聖書を読んでいると、まさに「荒れ野」でこそ、人が神と出会い、神の言葉を受けていることがわかります。モーセもエリヤもそうでした。「荒れ野」は人が全ての社会的な虚飾を奪われて「裸」になる場であると思えます。「荒れ野」で人は「ありのままの姿」で神と向かい合うのです。この世の地位や富で自分を覆いつくす支配者たちには神の言葉が降ることはなく、仮に降ったにしても、虚飾に覆われた彼らに届くことはないでしょう。
私たちも待降節の準備として「荒れ野」に向かうことが必要であると思えます。それは己を覆う虚飾やごまかしをはぎ取って、ありのままの自分になって、神の前にヘリ下ることであると思います。
ヨハネはその荒れ野で人びとに「洗礼」を授けます。具体的には人びとをヨルダン川の流れに浸し、水で体を洗う儀式でした。ヨハネ以前にも紀元前二世紀ごろのヨルダン地方では特に水洗いの儀式が盛んだったようです。また、ヨハネの同時代においても特にエッセネ派が、荒れ野で共同で隠遁生活を行う中で、水洗いの儀式を大切にして常時行っていました。
けれどもそれらはあくまでも「清め」のためでした。それに対してヨハネの「洗い」は「悔い改め」を示すものでした。それはその人の「生きる姿勢の転換」を示す儀式であったと言えます。ヨハネはそれをただ一度だけの儀式として行い、「清め」のためのように何度も行うことをさせませんでした。
ただ、「悔い改め」というのは私たちにとって「ゆるしの秘跡」を繰り返し受けていることからもわかるように、弱さのゆえに絶えず罪を犯す私たちにはその度に何度も「悔い改め」が必要であると思われるかも知れません。
けれども「「悔い改めの洗礼」においてはそれまで生きて来た「姿勢」の転換、それはこれまでこの世的な価値(地位や名誉や財産など)に向けられてきた「姿勢」を神の思いの方に「向きを変える」ということなのです。その人自身が「変わる」ということではありません。
私たちは洗礼を受けたからといって、もう罪を犯すことのない完全な人間に変わることはあり得ません。けれども弱く、罪に傷ついている自分であっても、神の方に心を向け、それに向かって生きる決断をした、ということであると思えます。
私たちがキリストと出会った、キリストを知ってしまったという事実は取り消すことのできないものです。それを洗礼を受けることによって宣言し、キリストに向かって生きる決断を示すのです。ですから「一度」だけでいいのです。
ある意味、私たちはもう、キリストから「逃げる」ことはできないのです。第二朗読でパウロが言っていたように「福音にあずかってしまった」ら、仮にそれに反するような罪を犯してしまえば、「罪悪感」を感じないではいられません。キリストの眼差しを絶えず、意識しているからです。
ですから「回心」なのです。洗礼の時に宣言した決断から別の方向に向いてしまったのを、「心を回して」神に、キリストの方に「向き直る」のです。
私たちがどんなに繰り返して別の方向を向いてしまっても、神と御子キリストが私たちに注ぐ眼差しを変えることはありません。深い慈しみに満ちた眼差しをいつも変わることなく、じっと私たちに注いでくださるのです。
