カトリック香里教会主任司祭:林 和則
第一朗読「ヨシュア記24 章1―2a、15―17、18b 節」
神の守護のもとにモーセに導かれて、エジプトを脱出したイスラエルの民は40 年間、荒れ野をさまよった後に「約束の地」であるカナンの地を対岸に臨むヨルダン川東岸に達しました。ただモーセはその地で亡くなり、ヨルダン川を越えてカナンの地への進入からはヨシュアが民を導いて行きます。ヨシュアは預言者というよりも軍事的指導者であり、カナンの先住民と戦い、ついにはイスラエル民族によるカナン地方の支配を確立します(注)。ヨシュアはカナンの土地をイスラエルの部族に分配し、それが終わると、全部族をカナン地方の中心地であったシケムに集め、民に改めてイスラエルの神に従うことを求めます。
それに当たってヨシュアは「主に仕えよ」というように命令形でもって強制しません。「自由に選びなさい(15 節)」というように、それぞれの自由意思に従って選ばせるのです。信仰は強制によってではなく、あくまでも個人の自由な選びによってこそ、個人の中に根付くからです。
本日の福音においてもイエスは「あなたがたも離れて行きたいか」と問いかけて、イエスに従うかどうかを各人の自由な選びにゆだねようとされています。
(注)当日の説教では述べませんでしたが「ヨシュア記」におけるカナンの地への軍事的侵略の記述を、現在のイスラエルの軍事力による土地の獲得およびパレスチナ人への攻撃と結び合わせ、それを正当化することは避けるべきです。
あくまでも聖書は信仰の書であって、事実よりも信仰教育のために「歴史」を用いているからです。それは神が神の民を守り、共にいてくださることを教え、実感させるための「歴史」なのです。実際、考古学の発掘調査の成果によって、ヨシュア記に書かれているような「侵略」はなかったことが証明されています。
第二朗読「使徒パウロのエフェソの教会への手紙5 章21―32 節」
本日のパウロの手紙の個所を読まれて、多くの女性の方がたが抵抗感を持たれたのではないかと思います。
「夫は妻の頭だからです(23 節)」また妻には「夫に仕えなさい(22 節)」と書きますが、夫には「妻を愛しなさい(25 節)」というように「仕えなさい」という表現を用いません。これを区別ではなく単に表現の違いであると、パウロを擁護するような解釈もありますが、ここには間違いなくパウロの男尊女卑的な意識の在り方があると断言できます。
それがもっと明瞭に表れているのが「コリントの教会への手紙一」です。
「男は神の栄光を映す者ですから、頭に物をかぶるべきではありません。しかし、女は男の栄光を映す者です(11:7)」
だから祈る時には女はかぶり物をしなさいと命じます。
これはパウロ本人というよりもパウロが生きた「時代」と「ユダヤ文化」の問題と言えます。パウロも人間であって「時代の子」という限界の中にいたのです。
私たちは思考するに当たって、無意識のうちに自分が生きている時代や社会の考え方の枠組みの中で思考しているのです。時代や社会の中での「常識」や「慣習」などに捕われています。その枠を突き破って新たな思考を生み出す人びとが「天才」であり「時代を切り開く者」であるのです。
パウロはキリストへの「信仰」においては、そのような「先駆者」でしたが、文化的な面においてはやはり「時代の子」であったのです。当時の時代、ユダヤ社会では「男尊女卑」が「常識」「当たり前」であって、パウロもその枠の中で思考していて、それが本日の個所のような表現として現れてくるのです。
大切なことは、私たちが聖書を読むときにそのような聖書記者の「人間的な限界」によって書かれている個所を見分けることです。
カトリックも20 世紀半ば頃まではこれは偉大な使徒パウロの言葉であるからとして受け入れ、そのために教会の中に男尊女卑的な文化が根付いていました。
けれども本来の神の思いが「男尊女卑」でないことはやはり聖書に書かれているのです。今日の手紙の中でパウロが創世記2 章24 節から引用している「二人は一体となる(31 節)」もそうです。
「一体」となることは「二人(男と女)」が完全に平等であることによって初めて実現できます。「二人」の間に格差があったり、主従的関係があれば、そこには上下関係の隔たりが生じてしまい「一体」となることは不可能なのです。
創世記のこの個所は約3000 年ほど前に書かれたとされています。おそらく人類の歴史上において「男女平等」の考えが初めて文字にされた言葉であると考えられます。
私たちはパウロの言葉を無条件にその全てを受け入れるのではなく、パウロの人間的な限界を考慮して、「時代的な制約」によって書かれている言葉を見分ける必要があります。
本日のパウロの手紙にあっては次の言葉を大切にしたいと思います。
「私たちはキリストの体の一部なのです(30 節)」
「キリストの体」は教会を指します。父と子と聖霊の神の座に戻られて目に見えない神に戻られたキリストに代わって、目に見える教会がキリストの言葉と業をこの世にあってキリストに代わって続けていくことが教会の使命です。
キリストを生きることによって「キリストの体」となるのです。逆に言うと、教会がキリストの言葉と業を人びとに告げ知らせない、宣教していなければ、「キリストの体」となることはできないと言えます。
私たち一人ひとりは教会の一部、「キリストの体」の一部なのです。そのために私たち一人ひとりがそれぞれの生活の場においてキリストの言葉と業を告げ知らせ、キリストのように生きて行くのです。
福音朗読「ヨハネによる福音6 章60―69 節」
本日の福音は先週の福音に続く個所です。ただ、一文節が省かれています。先週まではヨハネの「聖体論」とも呼ぶべき「聖体」に関する教えが6 章58 節まで語られてきました。続く59 節はその教えを閉じる役割を持っています。
「これらは、イエスがカファルナウムの会堂で教えていたときに話されたことである」
そして今日の冒頭の60 節は「ところで、弟子たちの多くの者はこれを聞いて言った」と始まるように、場面転換が行われているのです。58 節まではイエスと「群衆」「ユダヤ人」との対話の場面でしたが、60 節からはイエスと弟子たちとの対話の場面に変わっています。つまり、58 節まではイエスの聖体の教えについての「群衆」「ユダヤ人」の反応、60 節からは弟子たちの反応が書かれています。弟子たちの反応はこうでした。
「実にひどい話だ。だれが、こんな話を聞いていられようか(60 節)」
それに対してイエスが「あなたがたはこのことにつまずくのか(61 節)」と言
われた後、「それでは、人の子がもといた所に上るのを見るならば・・・・(62 節)」
と「・・・・」と言葉に詰まってしまうのです。このようにイエスが話の途中で言い淀んでしまうことは四つの福音書においては数か所しかない、めずらしいことです。
ここではイエスの「動揺」が表現されていると思えます。「群衆」や「ユダヤ人」であればともかく「弟子たち」までが「つまずいた」ことにイエスがショックを受けられたのだと思います。それはイエスが弟子たちを信頼し、愛していたからこそであると思います。
「このために、弟子たちの多くが離れ去り、もはやイエスと共に歩まなくなった。(66)」「そこで」「イエスは十二人に」振り向かれて「『あなたがたも離れて行きたいか』と言われた(67 節)」
この情景を思い浮かべる時、私にはイエスのさみしそうな顔が立ち現れて来ます。ペトロがすぐに「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか(68節)」と即答したのは、さみしそうなイエスの姿に思わず「私たちはどこにも行きません」というように、悲しむイエスを走り寄って抱きしめようとするような思いからではなかったでしょうか。
この言葉はペトロの信仰告白であったと同時に愛の告白であったと思います。
