2024年7月21日 年間第16主日(B年)のミサ

カトリック香里教会主任司祭:林 和則

 

第一朗読「エレミヤの預言23 章1―6 節」

エレミヤは紀元前626 年から586 年に至る40 年間にわたって南ユダ王国で預言者としての活動を行いました。その5 年目(622 年)にヨシヤ王の「申命記改革」と呼ばれる宗教改革が始まります。その大きな柱は異教祭儀の排斥であり、これは当時のエレミヤの預言とも重なるところがあり、エレミヤにとってヨシヤ王は神の思いを実現する理想的な王として、その改革に協力する喜びを感じていたのかも知れません。けれども609 年の王の死によって改革は中断し、その後の王たちはバビロニアとエジプトの狭間にあって外交上の問題に忙殺され、宗教から思いは離れてしまいます。

預言活動の後半のエレミヤは王を始めとする多くの国民のバビロニアへの反感に対して、バビロニアへの恭順と捕囚に向かうことさえも命じます。当然ながら、その預言は王や民の反発と怒りを招きます。

けれどもエレミヤにしてみるとそれは自己の政治的な判断、意見ではないのです。あくまでも神が彼に対してそのように語れと命じられたからなのです。

エレミヤは人びとから迫害を受けるような預言を語らねばならない苦しみをたびたび神に訴えています。けれども最終的には神のことばを語る熱意にその身を委ねて行くのです。

586 年、王国はバビロニアによって滅ぼされ、捕囚が始まります。バビロニアの支配に逆らってエジプトに逃れた愛国者グループにエレミヤは拉致されてエジプトに連れて行かれ、バビロニアに味方した者としてその地で殺害されたと考えられています。

けれどもエレミヤは希望を抱いて死んでいったのです。その希望は今日の朗読箇所の「わたしはダビデのために正しい若枝を起こす(5 節)」の預言に基づいています。「若枝」とは人間の王ではなく神から遣わされる「メシア」です。そのためこの箇所(5―6 節)は「メシア預言」と呼ばれます。

メシアは滅び去った「ユダ(の国)を救われ(再興し)イスラエル(の民)は安らかに住む。彼の名は『主は我らの救い』と呼ばれる」ようになるのです。

エレミヤは自らの運命よりも、神の民の運命を思い、亡国の民の状態にある神の民がやがてメシアによって救われ、まことの神の民となる恵みを受けるという神のことばを信じ、その希望を抱いて喜びのうちに死んでいったのです。

 

第二朗読「使徒パウロのエフェソの教会への手紙2 章13―18 節」

パウロは「あなたがたは、以前は遠く離れていたが、今や、キリスト・イエスにおいて、キリストの血によって近い者となったのです(13 節)」と語ります。

「あなたがた」はエフェソにおいてキリストの洗礼を受けた異邦人のキリスト者を指しています。「血によって」は彼らがキリストの十字架の死によって神と新たな契約に結ばれたことを指しています。

最後の晩さんにおいてイエスは杯を取って「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である(ルカ22:20)」と宣言されます。

「血による古い契約」はシナイ山のふもとにおいてモーセを通して結ばれた神と民の契約を指します(出エジプト24:3―8)。モーセは祭壇で雄牛の捧げものを捧げた後、自分がシナイ山で受けた律法を民に読み聞かせます。民が「私たちは律法を行い、守ります」と答えたことによって契約は結ばれ、モーセはそのしるしとして取り分けておいた雄牛の血を民にふりかけ「見よ、これはあなたたちと結ばれた契約の血である」と宣言するのです。

イエスの先の「新しい契約の血」はこの古い契約を破棄して、キリストを通して新たな契約が結ばれたことの宣言です。その際に古い契約の成立の柱となっていた「律法」が廃棄されるのです。

「規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました(15 節)」

当初、初代教会は異邦人がキリストの洗礼を受けるに当たってもユダヤ教の律法の順守を要求しました。それが大きな「隔ての壁(14 節)」となっていたのです。特に「割礼」は大きな障害であり、食事規定も異邦世界での生活において大きな負担となっていました。

律法はユダヤ人にとって自己証明のようなものでした。「異邦人」と自己を隔て、それによって自分たちのアイデンティティを、また「優越性」を明確にしようとしたのです。

その「隔ての壁を取り壊し(14 節)」全人類を神のもとにひとつにしようとされたのがキリストの十字架であったのだとパウロは力説するのです。異邦人は律法によって神の民から「遠く離されていた」がキリストによって「近い者」とされユダヤ人と異邦人との「双方をご自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現(15 節)」されたのです。パウロはそれを「コリントの教会への手紙一」では次のように表現しています。

「ユダヤ人であろうとギリシア人であろうと、奴隷であろうと自由な身分の者であろうと、皆一つの体となるために洗礼を受け(12:13)」(たのです)

古い契約の「律法」に変わって与えられたのが、十字架を通しての「キリストの愛」だったのです。「律法」は己の努力した「業」として人を傲慢にしますが、キリストの愛は無条件、無償で全く一方的に私たちに降り注いで来ます。私たちはただ、キリストの大空のような愛の中に全てを委ねて飛び込んで行けるかどうかが問われるのです。

 

福音朗読「マルコによる福音6 章30―34 節」

本日の福音は、先週の福音においてイエスによって宣教に派遣された弟子たちが戻って来て、イエスにその結果を報告する箇所です。彼らがどのような宣教を行い、それが成功したのか失敗したのかは、具体的には書かれていません。

ただ、マタイとルカの福音においては弟子たちの宣教の結果を知ったイエスが、宣教の行われたガリラヤ湖畔の町を激しく叱責する言葉が書かれています。

「コラジン、お前は不幸だ。ベトサイダ、お前は不幸だ・・・また、カファルナウム、お前は天にまで上げられるとでも思っているのか。陰府(よみ)にまで落とされるのだ(マタイ11:21―23)」

このような記述からガリラヤ湖畔を中心としたイエスの宣教は失敗したと考えられています。聖書学ではこれを「ガリラヤの危機」と呼んでいます。ですから使徒たちの報告は達成感に満ちた喜びではなく、挫折を味わった者の苦しみに覆われていたと思えます。使徒たちはイエスの期待に応えられなかったという思いからもイエスを正視できず、うつむきながらぼそぼそとつぶやくような声で報告し、イエスの叱責を覚悟していたと思えます。

けれどもイエスは使徒たちを慈しみの眼差しで包み込みながら、彼らをいたわって「しばらく休むがよい」と言われます。そうして使徒たちと共に船に乗って、今日ばかりは群衆を離れて、使徒たちに休息の時間を与えようとします。

宣教の失敗という「結果」はイエスにとっても打撃だったでしょう。でもイエスは「結果」よりも使徒たちの心に眼を向けられるのです。イエスにとっては「成績」や「結果」よりも使徒たち一人ひとりの「人間」が大切なのです。

ところが群衆はイエスと使徒たちが出かけて行くのをみて、一斉に彼らの後を追い、彼らより先に着くのです。

先回りしたかのような群衆を見てイエスはさすがに「やれやれ今日ばかりは使徒たちをいたわるために、彼らだけとゆっくりとした時間を過ごしたかったのに・・・」と船から上がりつつ思ったかも知れません。

けれども顔をあげて群衆の疲れ果て、すがるような無数の「顔」に出会ったとき、イエスは「飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ(34 節)」となるのです。

「深く憐れみ」はギリシア語の原文では「スプランクニゾマイ」です。直訳すれば「はらわたする」すなわち「はらわたが痛むほどの深い憐れみ」です。その憐れみに突き動かされて、イエスは群衆に「いろいろと教え始められた(34 節)」となるのです。

第一朗読で預言されたまことの「牧者」「王」であるイエスにとって、ご自分の羊たちである「神の民」こそがもっとも大切で愛おしく、ついには私たち「羊」のために命を捨ててくださるのです。