カトリック香里教会主任司祭 林 和則
第一朗読「アモスの預言7章12―15 節」
アモスは紀元前760 年代に北イスラエル王国で預言者として活動しました。
その時の王はヤロブアム2世で北王国は経済的繁栄の絶頂期にありました。けれども繁栄によってもたらされた富は一部の上層階級が独占し、民衆との貧富の格差が増大しました。そのような状況にあってアモスは痛烈にまた具体的に貧者を搾取する上層階級を糾弾します。
「貧しい者を踏みつけ 苦しむ農民を押さえつける者たちよ。おまえたちは言う。『・・・弱い者を金で、貧しい者を靴一足の値で買い取ろう』(8 章4,6 節)」
「アモスの預言」は人類の歴史上初めて文字にされた、社会の不正を糾弾した「社会問題の書」と考えられています。「預言」であるということは「社会問題」を最初に人類に突きつけたのは神ご自身であったということになります。
神はアモスを通して、上層階級の不正を非難し、貧者を擁護し、裁きとして北王国が滅びることを宣告します。
それに対して北王国の聖所であったベテルの祭司アマツヤはアモスにここを去って南ユダ王国へ逃れるようにと、ある意味「善意」をもって命じます。このままではアモスが王を頭とする上層階級によって迫害される危険があったからです。けれどもアモスは次のように答えます。
「わたしは預言者ではない・・・主は・・・わたしを取り、『行って、わが民イスラエルに預言せよ』と言われた(14―15 節)」
北イスラエルには職業的な預言者の集団がいました。彼らは王国から給金を頂いているわけですから、王や貴族たちを讃えるような「預言」しかしませんでした。神はそのような預言者を捨てて、農夫であったアモスを選び出し、預言者として立てられたのです。
アモスにしてみると自分の意志や思いではなく、神によって「遣わされた者」として預言をしているのだから、自らの意志で預言をやめることはできないと南王国への逃亡を拒否します。これは自らの思い、命よりも神のことばを大切にするという立派な信仰宣言です。
アモスの預言者としての活動は1 年あまりで終わり、その後の彼の消息は伝わっていません。もしかしたら北イスラエル王国の王によって殺害されたのかも知れませんが、アモスはきっと全く悔やむことなく「遣わされた者」して、誇りをもって死を受け入れたに違いないと思います。
北イスラエル王国はそれから40 年後にアッシリア帝国によって滅ぼされ、地上から消え去りました。
第二朗読「使徒パウロのエフェソの教会への手紙1 章3―14 節」
「天地創造の前に、神はわたしたちを愛して(4 節)」とパウロは書きます。これは時間的な順序についてではなく、私たちへの神の愛の強さ、深さを強調するための表現です。この文脈に従えば、神は私たちを愛するがゆえに、私たちのために「天地を創造された」といえます。それはこの世界の存在また歴史が無意味なものではなく「意味」を有していることを示しています。その「意味」とは神が私たちを愛するがゆえに私たちを救おうとされているということです。
私たちにとって歴史は「神の救いの歴史」であり、歴史の出来事の中に「神の愛」「神の救いのわざ」を読み取ることができるのです。
この救いはキリストによって完成されました。
「時が満ちるに及んで、救いの業が完成され、あらゆるものが、頭であるキリストのもとに一つにまとめられます。天にあるものも地にあるものもキリストのもとに一つにまとめられるのです(10 節)」
このキリストによる救いの業の完成を全世界に証しするのが「教会」です。
教会は「キリストを頭として(神によって)ひとつにまとめられている姿」を世に示しているのです。ですから「キリストを頭」としていなければ、それは「教会」ではない、ということになります。歴史上、教会がそのような過ちに陥ったことはたびたびあったと言えると思えます。たとえば中世において教会は「キリスト」ではなく、この世的な「権力」「支配」を「頭」としてしまっていたと思え、それは教会の堕落につながりました。
私たちが何を求めて「教会」に来ているのか、個人としても教会共同体としても絶えず問いかけ、識別しなければなりません。そしてもし向かう先、視点が「キリスト」からそれているならば、回心、すなわち心を「キリスト」に向き直すことが必要です。
キリストを「頭」とするということは、キリストがその生き方、特に十字架をもって示された福音を最も大切な、第一の価値として生きるということです。キリスト、福音を第一とする人びとの集いこそが「教会」であり、全世界に「キリストによる救い」を証しすることができるのです。
福音朗読「マルコによる福音6 章7―13 節」
本日の福音はイエスが12 使徒を宣教に派遣する箇所です。派遣するに当たってイエスはいくつかの指示を使徒たちに与えます。
「旅には杖一本のほかは何も持たず(8 節)」
これは具体的な指示というよりも宣教者の心構えを象徴的に表現していると思えます。これは出エジプト記において神がモーセをエジプトに派遣する箇所での「杖(4:1―5)」になぞらえていると考えられます。神はモーセに杖を持って行かせるに当たって次のように言われます。
「(この杖を見せれば)彼ら(イスラエル人)は先祖の神・・・主があなたに現れたことを信じる(4:5)」
この「杖」はモーセが神の顕現を受け、神によって遣わされた者であることの「しるし」なのです。イエスは同じように「杖」を持たせることによって神であるキリストと出会い、キリストから派遣された者として宣教に向かいなさいと使徒たちに示しているのです。それは第一朗読のアモスのように自分の意志や思いではなく、神に遣わされて、神の「道具」として宣教に向かうことです。
「ある家に入ったら、その土地から旅立つときまで、その家にとどまりなさい(10 節)」はルカの72 人を宣教に派遣する箇所では「家から家へと渡り歩くな(10:7)」というように表現されています。
それは自分の「顔」を少しでも多くの人に知ってもらおうとする「売名行為」を指しています。宣教活動が神の栄光のためではなく、自分の栄光のための道具、手段になってしまうのです。
これは私たち司祭がもっとも陥りやすい誘惑です。司牧活動、宣教活動が自らの功名心による、自分の栄光のための手段になってしまうのです。信徒からの人気を得ることが目的になってしまうのです。「人気のある神父」これは私たち司祭の心をくすぐる甘美な誘惑のことばです。
私たち司祭また信徒の皆さんもあくまでも「遣わされた者」であって「神の道具」として働くのです。自己の虚栄心に囚われてしまうと、宣教活動はいくら成功している(人びとの称賛を得ている)ように見えても、それは神ではなくサタンの勝利を世にもたらすものとなってしまうように思えます。
「足の裏の埃(ほこり)を払い落としなさい(11 節)」もこの文脈で考えるならば、「自分の心の中にこびりついた埃」であると思えます。
宣教が受け入れられなかった時に宣教者が怒りや憎しみを抱くとしたら、その宣教が自分のためのものであったがゆえにではないでしょうか。自分を無にして、ただ神のために「道具」として宣教したならば、「道具」が怒ったりするでしょうか。「道具」に「プライド」があるでしょうか。
またああすれば、こうすればよかったとの後悔も「埃」です。
宣教者には受け入れられなくても、それによって生じる人間的な思いや感情という「埃」を全て払い落として「まっさら」な心で、また新たな宣教の地へと向かう「自由」が必要なのです。
「風は思いのままに吹く・・・霊から生まれた者も皆そのとおりである(ヨハネ3:8)」
宣教者は聖霊に導かれて、なにものにも囚われることなく、風のようにどこへでも吹きわたって行くのです。
