カトリック香里教会主任司祭 林 和則
第一朗読「エゼキエルの預言2章2―5節」
紀元前597 年、第一次バビロン捕囚が行われました。バビロニア帝国のネブカドネツアル王によって首都バビロンに連行されたユダ王国の人びとの中にエゼキエルもいました。彼は捕囚の地で預言者としての召命を神から与えられます。
「霊がわたしの中に入り、わたしを自分の足で立たせた(2 節)」
「自分の足で立たせた」というのは象徴表現です。エゼキエルは神殿で仕える祭司でした。それが神殿から遠く引き離され、異教の地に連れて来られてしまったということは「祭司」としての使命を果たすことができず、これまでの彼の生き方の全てが奪われてしまったようなものでした。彼は自己の依って立つべきアイデンティティを失い、深い喪失感と絶望の中にあって立ち上がることができないような精神状態にありました。
それが神から預言者の召命を与えられたことによって自らの足で「立ち上がる」ことができるようになったのです。
「召命」は神の思いを地上に実現するために人を召し出すだけでなく、その人を「生かす」ためのものでもあるのです。その人に新たな命を、生きる意味を与えるものなのです。生きた屍(しかばね)のようになっていたエゼキエルを立ち上がらせるためにも神は彼に召命を与えたのです。
私たちもそうです。私たちがキリストの洗礼を受けて、キリストの弟子となる使命(召命)を与えられたのは、私たちが本当の自分らしい生き方を見出すためでした。この世的な富や名誉を求めて地上を這いずり回っているような生き方ではなく、神によって生かされて、まことの命の喜びに満たされて生きる幸いを私たちに与えるために、神は召命を与えてくださったのです。
けれどもその神の召命に応えていく生き方が人びとから拒まれることが多く、エゼキエルも「反逆の家(5 節)」の民から拒まれ、本日の福音のイエスも自分の故郷の人びとから拒まれるのです。
第二朗読「使徒パウロのコリントの教会への手紙二12 章7b―10 節」
パウロは「わたしの身に一つのとげが与えられました(7b)」と書きます。
それは何らかの病気や疾患のことと考えられています。それは「サタンから送られた(7b)」と書くほどに、パウロの宣教活動に支障をきたすまでに非常につらく苦しい症状を引き起こすものであったようです。そのためにパウロはこの「サタンから送られた使い」を「離れ去らせてくださるように」「三度主に願います(7b―8)」
パウロにしてみるとこの苦しみはサタンが私の宣教活動を邪魔するために送っているものだから、きっと主は取り去ってくださると思っていたのでしょう。
ところが主はその病(やまい)を取り去ることなく、次のように言われます。「わたしの恵みはあなたに十分である(9 節)」
だから、その「病」も主が「恵み」としてパウロに送ったものであるということです。パウロはショックを受けたことでしょう。けれどもその主のことばを拒否することなく受け入れて思い巡らしたのです。その結果、パウロはこの「とげ」は「(わたしが)思い上がらないように、わたしを痛めつけるために(7b)」送られたことに思い至ったのです。
パウロは直情径行型の非常に激しい人であったと思えます。キリストを迫害するにも、キリストを生きるにも、徹底して行います。ただこのような人はしばしば傲慢に陥りやすいものです。自分の正しさに自信があるからこそ、突っ走ることができるからです。
パウロも自己の意見を主張してたびたび周囲の人とぶつかっていたようです。
パウロの宣教活動をずっと支えて来たバルナバとも「激しく衝突(使徒言行録15:39)」します。宣教活動から一度逃げ出してしまったマルコをバルナバは許して再起の時を与えようとしますが、パウロは頑としてそれを拒否したのです。
ペトロともぶつかります。エルサレムの中央教会の保守的なメンバーの目を気にして、ペトロが洗礼を受けた異邦人(割礼を受けていない)との会食を尻込みし出すのを見たパウロは「面と向かって反対しました(ガラテヤ2:11)。」
そして「皆の前でケファ(ペトロ)に向かって(同2:14)」というように人びとの前でペトロをさんざんに責め立てたのです。教会の長であるペトロの立場に配慮して、人のいない二人だけの所で責めればいいのに、人びとの前で「面と向かって反対しました」と書いているのには、私はパウロの「傲慢」を感じないではいられません。
ですから神はこのパウロの「傲慢」を打ち砕くために「とげ」を送られました。
それは「懲らしめ」のためというよりもパウロをご自分の許に引き寄せるための愛情であったと思います。「傲慢」は人を神から引き離してしまうからです。
この「とげ」によってパウロは「キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう(9 節)」と宣言します。かつてはパウロは自分の力で宣教活動を行い、それを自らの誇りとしていました。けれども己の力で行おうとする業は小さく、人を排除していくことに陥りがちなことを悟らされたパウロはへりくだって自分を神に明け渡すことによって、キリストが自分の中で働いてくださることを知ったのです。自分ではなく、キリストが自分を通して働いていただくために、自分はただの「道具」となることこそが豊かな実りをもたらすことを知ったのです。
「わたしは弱いときにこそ強い(10 節)」というのは自らを無力化してキリストに己を明け渡す時にこそキリストが私を活かしてくださるという意味でしょう。
福音朗読「マルコによる福音6 章1―6 節」
本日の福音はガリラヤ湖畔での宣教活動、特に奇跡によるいやしを通して多くの人びとの称賛に包まれたイエスが故郷のナザレに帰って来て、故郷の人びとに教え始められる箇所です。
故郷の人びとも「この人は、このようなことをどこから得たのだろう。この人が授かった知恵と、その手で行われるこのような奇跡はいったい何か(2 節)」と驚きます。信仰は「驚き」から始まると言われます。人びとの常識、既成概念が「驚き」によって揺さぶられるからです。「どこから」「何か」と考えを深めることによって「神から」という信仰に到達することができたのかも知れません。
けれども「故郷の人びと」にとってイエスは、幼い時からよく知っている「この人」だったのです。それによって形成されている「イエス像」は「驚き」によっても突き崩されることがないほど強固なものだったのです。
なぜならそこには差別と偏見の「壁」があったからです。
「この人は、大工ではないか(3 節)」の大工はギリシア語原文では「テクトーン」が使われています。「テクトーン」は私たちが想起するような「家を建てる」技術を有することによって財を得ている者ではなく、木のお椀や靴などの手工芸品を作る手職人というような人びとを指します。その多くは借金のために土地を奪われて困窮した農民が露店業を営んでいるような状況でした。そのため「テクトーン」は「貧乏人」という差別的な意味合いを持つ言葉でもあり、先の言葉は次のようにも訳せます。
「この人は、貧乏人ではないか」
そして「マリアの息子」という表現も当時のユダヤ社会にあっては奇妙な表現です。父系社会であった当時の世界では普通、父親の名を冠して人を呼びます。
ですから通常は「ヨセフの息子」と呼ぶべきで、父親の生死は問いません。
「マリアの息子」という表現には「父親が誰だかわからない」というニュアンスが込められているのです。それはマリアが婚約中に身ごもったという「スキャンダル」を故郷の人びとが知っていたからです。
ここから推測できることは「聖家族」は故郷にあっては差別され、疎外されていたということです。
故郷の人びとにとってイエスの前には「貧乏人」「罪びと」という差別と偏見の高い壁があって、信仰に到達することはとても無理でした。
「差別」と「偏見」は信仰生活にあっては大きな障害になるのです。
